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【報告】参議院農水委員会 参考人質疑での村上真平代表の意見陳述(要旨)

登録品種の自家増殖を原則禁止にする種苗法改定法案が12月2日、参議院本会議で可決され、成立しました。審議時間は衆参合わせて10時間余り。「国民の食料は大丈夫か」「農民の種子への権利を奪い、食料主権を侵害することにならないか」との不安の声が聞かれます。参議院農林水産委員会で11月26日に行われた種苗法改定案の参考人質疑で、反対意見陳述を行ったFFPJの村上真平代表(全国愛農会会長)の発言要旨を紹介します*。

農家の自家採取を妨げるとはどういうことか

なぜ農業者が種や苗を取っていけない、使っていけないのか。農業は、1万年前に始まりました。その時から9,950年間は農民が種を採り、育種し、継なぎ続けてきたのです。今ある登録品種と呼ばれる品種改良された種子の元種は、全て農民が営々とつないできた在来種です。F1(雑種第一代)種子が広がってきたのが、日本では50数年前くらいからです。そのF1にしても、それまであった様々な在来種を元種として育種したものです。

農民たちが種を採り、育て、作るなかで自然交配などにより色々な種類が出てきて、そこから優れたもの、変わったものを選び続けることにより、多くの新種が育種されてきました。それによって、在来種は非常に多種多様なものになったのです。そして、新種を発見、育種した人々は自分たちの種がいろんな人に使われることに喜びを感じていたのです。農民は、農作物の栽培をすると同時に種を作る人々なのです。その意味は、種は基本的に収穫物から取る、収穫物そのものが種苗であるということです。その事実を無視して、今、農民は種を取ってはいけないと、堂々とこの国会の場で話をする。すごいことだと思っています。

モンサント法の影

この背景に何があるのでしょうか。モンサント法**というのがありました。モンサントは世界で一番多くの遺伝子組換えの種を開発しました。遺伝子組換えの種は、F1と違って、収穫物から種を取って、次に植えると同じものが収穫できます。そこで、モンサントの種を使う農家に「収穫物からの種を使わずに、モンサント社から毎年買い続けます」という契約書を書かせました。しかし、農民たちが苦労して育て、収穫したものから種が採れるのですから、当たり前のように収穫物の種を使う農民が多くでました。そこで、モンサント社は収穫物からの種を使った農民たちを見つけ、告訴し莫大な賠償金を取り立てたのです。しかし、そのモンサントの行為は世界的に非難されたものですから、その後、遺伝子組換えで自殺する種を作りました。自殺してしまえば、2回目は使えないからです。でも、それは品種改良における倫理的問題だということで止められました。そこで、彼らが自分たちを守るには、「農民が自家採種することを違法である」という法律つくることだ、ということになり、アメリカでその法案を通したのです。その影響がどのくらいここに及んでいるのかは分かりません。

しかし、2018年の主要農作物種子法廃止、(農業競争力強化支援法)によって種に関する公的知的財産を民間会社に移行をすることがきまったこと、そして、今回の種苗法改定によって「登録種苗を使う農民へ許諾料の義務化」をみると、そこに明らかな流れがあることを感じます。

種子の権利を盛り込む小農宣言

2018年に国連は「小農と農村で働く人々の権利に関する宣言」(小農宣言)を採択しました。日本は種の大企業があるアメリカやヨーロッパの国々にならって賛成しませんでしたが、国連で「種は、大多数の名も知らない農民たちが守り継ないできたものである。したがって、農民が種を採る権利を有するのは当然のことである」「企業の利益よりも農民の種に対する権利が優先されるべき」ということで、「農民に種苗を採り続ける権利がある」と国連加盟国大多数の賛成によって決議されました。これも、国連のSDGs、特に、「貧困、飢えを解消する」を2030年に達成するためのステップです。日本も持続可能な社会をつくるための一役を担うということで皆さんは国会議員になっておられるのだと思います。このような世界の動向を見極めた上で、今やろうとしていることが何をもたらすのか、熟考して欲しいと思います。

種を守ることは将来の人を守ること

僕はバングラデシュに6年間、海外協力で行っていたことがあり、そこで一緒に活動した団体が1991年から自家採種と生物多様性の有機・自然農業の普及を始めました。今では30万戸以上の農家が参加する農民によるノヤクリシー(新しい農業)運動になっております。そのノヤクリシー運動の女性グループのリーダーであるベグンさんという農婦が、2015年にFAO(国連食糧農業機構)に表彰されました。国連SDGsの実現、つまり農村の貧困や飢えの苦しみから人々を救い、村を立て直すために功績があった人々へ送られた「国連70周年記念栄誉賞」です。

ベグンさんたち、ノヤクリシー農民は必ず、自分たちで種を採り保存します。ノヤクリシー農民の家に行くと、すべての農民は種を保存する種小屋を持っています。そして、地域には共同の種バンクがあります。農民が種を持ってないときは、誰もがその種バンクから種を譲ってもらうことができます。お金を出す必要がありません。片手分の量を頂いたら、両手分の量を返す。というのがこの種バンクのルールです。その返された種を、きれいに掃除し、乾燥させ、分類し、保存し、記録し、使いたい人のために準備する作業は非常に手のかかる仕事です。私は、今年1月に、農民の殆どがノヤクリシーをしている村の種バンクを訪ねました。そこには800戸ほどの農民が利用する種バンクがあり、お米の種類が200種以上、野菜、豆類などが300種ほどの種を保存しており、種バンクの委員会20人ほどが運営をしています。そこで、種バンクを世話する委員会のメンバーに尋ねました。「これだけの手間のかかる仕事をボランティアでやっていますね、なぜなのでしょうか?」と聞くと、「種は、今の私たち、そして将来の子供達たちが生きるためになくてはならない大切なものです。この大切な種を守り、継ないでゆくことは私たちの使命です。その大切な責任をもつ委員会に選ばれることは光栄なことであり、労力を提供できることに誇りを持っています」と語りました。本来、農民にとって、種とはそのようなものなのです。

今回の法律で海外流出を阻止できないことは分かっています。それにもかかわらず農民の種や種苗を使うという当たり前の行為を止めるということがどういう意味なのかをよく考えて欲しいのです。

「倫理」に反する

私は、たいへん不思議に思います。「育種者が苦労して作った種苗だから、農民が自家増殖して使うときも農民はロイヤリティー(許諾料)を払え」といいます。育種者がその新種の種苗を作るために使った元種や元苗はどこから来たのでしょうか。そして、その元種苗を提供した人々に対して、育種者は自家増殖して種苗を採るとき毎年許諾料を払っているのでしょうか。彼らはもちろん許諾料を払っていません。なぜなら、作物にしても、果樹にしても、全ての農作物の品種改良や新しいものを作っていくときに必要な元種苗は、今日まで1万年の歴史の中で蓄積されてきた多種多様な固定種であり一般種苗と呼ばれているものです。育成者はそこから元種苗を持ってきて新種を作る、しかし、その元種苗に対しては許諾料を払わない。モンサントなどは、BTコーンという虫が食べたら死んでしまう毒素をいれたトウモロコシを作って、農民たちから莫大な許諾料を取っていますが、トウモロコシはメキシコが産地ですが、メキシコの国にも農家にも許諾料は払いません。

それは、払えという人もいませんし、許諾料という概念がないからです。種苗は空気や水のように、当たり前のように農村で農家が作り続け現在まで保存してきたものなのです。ですから、種苗にたいする日本だけでなく世界の人々の常識というものは「コモンズ」、共有財産なのです。農民はそれを栽培しながら、生活の一部として種を守ってきましたが、その権利を主張しません。そして、伝統的な育種者は育種したものを共有財産に返したのです。

ところが、種苗法の改正では、その共有財産の種から元種苗を取ってきて育種したものは育種者のもので、これを使う農民は自分で作っても育成者に許諾料を払えといいます。これが、共有財産である種を実質的に守り、継ないできた農民に言うべき言葉なのでしょうか。これは共有財産である「種の倫理」に反することであり、不公正です。

生命の安定には生物多様性が不可欠

種苗の中でも収穫物をそのまま使うジャガイモ、サツマイモ、里芋、サトウキビなどは、農民が自分の畑でできた収穫物の中から選んで植えるということをします。でも、それらは全く同じものにならないのです。毎年使っていると、土、気候、地域が違えばどんどん変わって行くのです。その中から、その畑にあったものを選んで作って行くのが基本です。ですから、例えば、あるものから育種されたものを買ったとしても、それを使い続けているとその農家特有のものになるのです。このように自然がそこに合った形に遺伝子をかえていくのは皆経験でわかっています。したがって、自家増殖や種を採るということはその品種の生物多様性を作ることにもなるのです。

生命が安定性をつくるためには生物多様性が必須です。少数の優良種を全部の人が使えばいいという考え方は、これから100年もしないうちに生態系を壊し、駄目なのだということが明らかになるでしょう。種が滅びていく理由は、その種の個体がすごく少なくなるか、多すぎてその種だけになるか、なのです。現在の農業は、いわゆる優良種だけを作っていくモノカルチャーに向かっており、生物多様性をどんどん無くしています。19世紀のアイルランドでジャガイモ飢饉がその例を示しています。ジャガイモは寒いところでよくできるということで、そのジャガイモ持ってきてアイルランドの主食になったのですが、収量の多い数種類の品種に限ったために、それらの品種が疫病になりが壊滅的被害を受け、飢餓によって百万人以上の人々が餓死したのです。

品種の改良を育種家に全て任せて農民の自家採取・増殖を止めさせれば、生物多様性はどんどん減って行きます。今、世界は、遺伝子組み換えなど、少数の遺伝子からできた「優良種」で全てをコントロールする方向に来ています。ですから、種子は世界を制すという言葉を使います。でも、実際は制すことはできません。ある作物が「優良種」の単一の種子で制するならば、必ず病虫害の大発生というハザード(惨状)がおきます。

私が種子を採る理由

私の場合、植えるものは種を採れる固定種にしています。F1はなるべく使わないことにしています。物によっては非常に難しいものもありますが、なるべく種子を採ろうとしています。なぜかというと、やはり種というものは、ずっと長い年月、農民によって守られ続いてきている、それが、農の基本であると思うからです。そして、自家採種を続ける中で、自分の農地にあったものをみつける。そして、それらを同じく自家採種している人たちと交換して行くことにより農業生態系における多様性を増やせるからです。

農業がはじまってからの1万年の中で自然の森の3分の1がなくなって農地や都市になっているわけですが、これが温暖化や生物多様性の危機という地球環境問題をつくっている大きな原因の一つです。農業の一番の問題点はモノカルチャー(単一栽培)です。生態系が単一なることは、非常に危うく、もろいのです。今後、温暖化、気候変動により、気候が読めなくなってきます。そのような状況における農業は、ある一つのことだけ、例えば、暑さや、日照り、寒さだけに対応できる優良品種を作ることだけでは対応できません。真の意味での科学的な解決法というものは、生態学的な解決法であり、それは自然の森の安定している生態系に学ぶことです。そこから導き出される答えは、農地に様々な種類の農作物による生物多様性を実現することです。同一種においても生物多様性を増やすことなのです。生物多様性こそが自然の生態系、そして、農業の生態系を安定させる道なのです。

私が作物を作るとき、いつも思っていることは、どんな気候でも安定した農産物の生産です。そのために農園において生物多様性を実現することを基本とします。そのために、種が取れる多様な作物の作付けと自家採種をするのです。

*この「要旨」は参議院農水委員会での村上氏の意見陳述の内容を基に加筆・再構成して作成したものです。参考人質疑の内容はYouTubeでもみることができます。(https://www.youtube.com/watch?v=nxo25QNRYJg&feature=youtu.be)(後半の4:15:50ぐらいから登場)

**モンサント法:植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV)。特に91年改定版のことを指す。これらは日本の種苗法の基になっている。

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