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【報告】FFPJ第29回講座:家族農業に関する第8回国際会議に参加して 

· イベント

家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン(FFPJ)第29回講座が2024年4月19日に行われ、スペイン・バスク州で3月19〜21日に開催された家族農業に関する第8回国際会議「私たちの地球の持続可能性」に出席した村上真平代表が、参加報告を行いました。折り返し地点を過ぎた国連「家族農業の10年」について、世界の取り組み、現地での意見交換や交流の様子、今後の運動に求められることなどについてお話ししました。村上代表の講義の要旨は以下の通りです。また末尾に動画をアップロードしました。

*はじめに

皆さん、こんばんわ。FFPJの代表を務めさせていただいている村上です。今、お話がありましたように、先月、スペインのバスク地方のビルバオという都市で、家族農林漁業の10年、2019年から28年までのちょうど5年が経ったということで、WRF(世界農村フォーラム)という団体が主催する国際会議がありました。それに参加してきましたので、今日はその報告をさせていただきたいと思います。

今回は、僕自身がファミリーファーミングに出会ったきっかけと、このWRFという団体は、僕らは家族農林漁業と呼んでいますが、家族農業の国際年というものを2014年に制定させた団体なんですね。ですから、その辺からですね、僕自身がこれにかかわって、そして今回のミーティングに参加してどうであったかを、皆さんにプレゼンテーションペーパーだとか、色々なものを用意してお話しできれば良かったんですが、僕は最近ちょっと農作業が忙しいということもあって、ほとんど言葉で伝えさせていただきますので、よろしくお願いします。

*福島から三重、そしてAFAに

まず国際家族農業年というものは、最初は2014年に開かれました。開かれたと言いますか、2014年がいわゆる国際年という中で、家族農業年だったんですが、日本ではほとんど知られていませんでした。この家族農業年というのはどんなものかというイメージは、国連が決める国際なになに年というので、たぶん一番有名なのは、子ども年(国際児童年)というのがあったんですね。僕がもっと若い頃に、ゴダイゴという団体がビューティフルネームという歌を歌ってですね、全国に国際子ども年ですということをやった。そういう一連の中で、毎年、テーマが変わっていくのが、国連の国際年というもので、その中で、2014年に国際家族農業年というものがつくられたわけです。

実はですね、僕自身はそのときは日本におりました。それまでそういう海外協力関係のNGOで20年くらいやっていて、2002年に日本に帰ってきたわけです。それでずっと海外協力のことにかかわらないで、飯舘村というところで、農業をベースにしてコミュニティみたいなものをつくりたいなと思って、自然の農業をしながらやっていたんです。

ところが2011年の3.11ですね、それによって、僕は自分が住んでいた飯舘村からその日の真夜中、3月11日の真夜中にもう、全電源停止になった原子炉は一番危なく、間違いなくメルトダウンが起こっているだろうということで、僕らは、家族と研修生ですが、福島を出ました。山形を経由して、3月16日に三重県の愛農会という、僕が代表を最近まで務めていましたが、その団体がつくっている愛農高校は、僕が卒業した学校でもあり、そこに人が住める色々な施設があるものですからそこへ、三重県に移ったんですね。

そのときに愛農会からですね、アジアンファーマーズ・アソシエーション(アジア農民の会、AFA)という団体、これはアジアの20か国の農業団体が集まってつくった団体で、AFAと呼ぶんですが、今回のいわゆる国際家族農業年のマネジメント・コミッティ(運営委員会)の一員にもなっています。そのAFAで2014年に愛農会がチェアパーソンをする予定になっているので、僕にチェアパーソン(議長)になって、AFAにかかわってやってくれって言われたんです。ずっと海外にいたので、そういうことはできないことはなかったんですけど、僕自身はあんまり、もっと日本でやりたいという思いがあったものですから、初めは断ったんですが、断り切れずにAFAにかかわったんですね。

*コントラクトファームという幻想

AFAにかかわって、そのときにタイで総会がありまして、そこで初めて家族農業年というものを知りました。そのときにですね、今年、2014年は家族農業年、そしてファミリーファーミングという、まさに家族の小農こそが、土地が少ないにもかかわらず、世界の80%の作物、食べ物をつくり、なおかつその地域地域において、環境であるとか、それから文化であるとか、地域の経済、そういうものを支えてきたものだと。ところがそれらがですね、今のグローバル経済も含めて、その中で結局、農民たちがそういう状況にあるにもかかわらず、一番遅れた農業だと言われて、そして貧しい。まるでこの世が発展していく中で、お荷物みたいに思われていることは、実はぜんぜん違うことなんだという、その考え方を広めたのがこのファミリーファーミングです。

それで、そこの団体の事務局長、今も事務局長をやっているエスターという女性がですね、国連の方からファミリーファーミングのアンバサダーに指名されたわけです。で、そのときにWRF、ワールド・ルーラル・フォーラム、つまり世界農村フォーラムという団体がつくられて、その団体が国連に呼び掛けていって、まあ国連に呼び掛けるためには、様々な国の代表に呼び掛けて、国際家族農業年というものを制定させたわけです。

実際、僕自身はそのときに、家族農業、有機農業とかそういうことをしていたので、家族農業と有機農業とはどういう関係かといったような色々な話が、自分の中でよく分からないっていう思いがあったんですね。ただ小さい家族農業だけがいいんだというふうに、もし言うとしたら、どういうことなんだろうかと。あまりよく分からないというのが僕自身の正直な思いでした。たまたま僕が代表に選出されて、様々な国連の団体であるとか、いろんなNGOとか、かかわっている人たちがいろんな挨拶をしてくれたときに、WRF、そのワールド・ルーラル・フォーラムから来ていたホセさんという、そのときの代表の方が、AFAはこの家族農業年のアンバサダーになって、本当にこれから特に南の国々の人たちの中でリードしていってほしいとか、色々な話をしてくれたんですね。で、僕はそのときに、AFAのメンバー、全部で20人くらい居ましたが、その代表がですね、いきなり何か質問あると言ったんですね。何でしょうかというふうに聞いたらですね、最近、コントラクトファーム、いわゆる企業と連携してやるということがどんどん進められているんだけれど、これはやったらいいだろうか、という話があったんです。

僕はそういう団体の挨拶があるときにそんな質問があって、えーっという雰囲気だったんですが、こう答えたんですね。僕の親父は本当にコントラクトファームというのを種鶏、いわゆるブロイラーになる卵、有精卵ですね。それを森孵卵場というところから、つくったものは全部買うから、あなたたちはそれでお金を返せるし、お金が儲かりますよという、そういう話があって、福島県の愛農会の農民たち全部で10人くらいが、向こうが言う大きな鶏舎とか、近代的なものをそろえて、それをやったんですね。1960年代でしたが、それをやっていく中で、結果として父親はですね、薬漬けの卵をつくるというんで病気になって、5年でやめて400万円の借金を背負って、そして様々な問題があって、結局、有機農業に変わったんです。

僕はタイにいたときも、CPというタイで一番大きな会社で多国籍企業でもあるんですが、そこがやっぱりブロイラーをいろんな農民たちにコントラクトファームでやっていて、だいたいの農民が一番最後に残ったのが借金と鶏の糞だけだったという話があるんですね。僕はタイに5年いたので、そういうこともずっと知っていたので、その話をしました。

そしたらですね、WRFのホセさんが、その通りだと、いきなり叫ぶわけですね。だいたい企業は信用するもんじゃないと言って、なんだこの人は、という感じで。で、終わったら僕のところへ来て、村上さん、素晴らしいですねと言って何か色々話をして、あなた、今度、フランスにあるモンペリエでファミリーファーミングのリサーチャーの会議があるから、それに出てくれないかと。僕はちょっと、そんな時間、6月はないんですが、という話をしながらですね、なぜファミリーファーミングで、これどうやって制定されたんですかと、彼に質問したんですね。

*家族農業年が制定に至る経緯

そしたら彼がこう言ったんです。スペインのバスク地方、このバスク地方というのも話すと長くなりますから、あんまり話しませんが、もともと独立運動をしていた山あいの地域であり、バスク地方はちょうどピレーネ山脈を挟んで、スペインの北の東側にあります。そしてその北側の東の方の端はフランスに接している。山あいで大変なところなんだけれども、ここの人たちはもの凄く独立気質が高くて、独立闘争をやっていたんですね。本当に闘争をね。それで、今はそんなわけもあって、スペインの中では自治区になっていますから、自分たちのパーラメント、いわゆる国会も持っていて、そこに首相というかプレジデントもいる、そういうところです。ここの地域、スペインの中でもスペインの片田舎のひじょうに独立気質が強いところに、WRFという1つの団体、バスクのガバメントと直接的な関係というよりは、どちらかと言えば、第三セクターかNGOかの間くらいだと思います。会議する場所であるとか、オフィスなんかはバスクガバメントからももらっていて、その彼らがですね、ワールド・ルーラル・フォーラム、世界農村フォーラムというものをつくったわけですね。

僕の中でのクエスチョンでしたから聞きました、なぜつくったんですかと。そしたらですね、農業という一つの歴史、世界的な潮流の中で、これから小さな農家は大変なことになると彼らが感じた出来事があると言うんですね。それがウルグアイラウンドというやつです。これは日本でもかなり問題になりました。それによって日本は限定的ですが、米を輸入しなければならないということになったわけですし、それがきっかけになって、日本の米では食管法、買い取るということがなくなったんですよね。いわゆる自由競争に全部すべきだという、そしてそれがきっかけにWTOが出来たわけです。ですから、それを彼らが見たときに、これから絶対、世界的に小さな農民たちというのは大変な状況になるんだということ。本当に小さな農業こそが、小さい家族農業こそが一番基本になるべきなのに、それがならないような社会になるから、これを何とかしたいということで、彼らはこれをつくったというんです。

そこでどうしようかということで、一番最初が国連に対して家族農業年というものを制定させた。彼らはそれを5年くらい掛けて、様々な形でロビーイングして、いろんな国の国連代表の人たちと話をしました。すべての国の、地域で伝統的に農業をしている人たち、家族でやっている人たち、そういう人こそが、本当にその地域を環境的に、そして経済的に、文化的に守ってきた主体であり、そういう人々がなくなっていったならば、食べ物に関しても、環境に関しても問題なんだと。そのことを掲げてやっていき、2014年に国連は家族農業年を制定したわけです。僕はホセさんに連れられて3回くらい海外のそういうコンファレンスに出ていく中で、これからの農業というものは、本当に小さな農民たちが守られることであり、そこにはアグロエコロジーの農民たちが凄くかかわっていました。

*ファミリーファーマーとは

2019年にイタリアのローマで行われた家族農業年のいわゆる出発式と言いますか、開会式みたいなことに僕も招待されて行ってきました。そのときにFAOの代表(ジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長)、今は辞められていますが、その方が一番最初に話をしたんですね。そのときの言葉がひじょうに僕には印象的でした。彼は2014年に家族農業、ファミリーファーマーという言葉が制定されたときに、私たちは本当にいい名前を得たって言っていました。それはどういうことか。

それまで農業は大規模になって機械化をして進んでいくことがこれからの農業の方向であり、そして問題になるであろう貧困とか色々な、食料危機も含めたそういうものを、大規模で進んだ近代的な農業が解決するんだとずっと思われていた。それで家族農業と言われている小さな農民たちはそれまで何と呼ばれていたかというと、サブシスタンス・ファーマー。サブシスタンスというのは、食うことでぎりぎり、なかなか食えない。それからスモール・プア・ファーマーとか、いわゆる言葉的にもひじょうにネガティブにしか呼ばれなかったと。そもそも小さな農民、小さな農家の人たちであるにもかかわらず、世界の80%の食料を生産し、なおかつ環境を守り、特に伝統的な農林漁業にかかわっている人たちですから地域の文化を守る。そういう人でありながら、飢えの問題に一番直面している。つまりそういう人たちは、これから地球で人間が生きていく生き方、伝統的にやってきた人たちの生き方という両方の意味において、本当の意味での生き方を示すだろうというふうに言われているのに、家族農業という形でひじょうに小さなお金も土地もない人たちはですね、ある意味では飢餓の最前線、ひじょうに多くの人たちが貧困で苦しんでいるわけです。だから2014年に家族農業ということで、この人たちにファミリーファーマーというひじょうにポジティブな名前が与えられて、そしてこの人たちがちゃんと生きていけるような方策をすべての国に取ってくださいということが言えるようになったと。そういう意味において、ファミリーファーマーという名前が出来たということが本当に素晴らしいことだという話をしていました。

*SDGsの達成に向けて

そしてこれからSDGsの達成期限が2030年です。それを達成していくために、SDGsの一番最初は何かと言ったら、貧困撲滅であり、2番目には飢餓をなくす、飢えをなくすですね。そういう意味では、そのときに国連から事務局長の代理みたいな形で来ていた人が、まさにSDGsを達成させるために一番大切なのは貧困撲滅、そして飢餓をなくすということで、そのことにおいて、ファミリーファーマーという、この考え方が多くの国に理解され、その人たちがその地域その地域で生きていけるような、そしてなおかつその人たちが、その地域を環境的にも文化的にも守っていけるような、そういう方向に行くということができるならば、2030年にSDGsは達成できるけれども、もしそれがないのならば、これは達成できませんということを言っていたわけです。

そんなわけで、ファミリーファーミングというものは、国連がこの10年間といったものを、まさにSDGsを2030年に達成させるために必要不可欠であるという認識ということでした。で、僕もそんなわけで、今回、それを受けて、日本でつくられた、日本の名前はファミリーファームというと、普通は家族農業だけになっちゃうから、ファーミングというものには漁業も入りますし、それから林業も入るということで、家族農林漁業プラットフォームというものをつくったわけですね。で今、こんな活動をしているわけですが、その中で今回、ちょっと行かせていただきました。で、いくつか質問があるということなので、その方にもお答えしなければならないかとは思っているんですが、少しだけ僕が撮ってきた写真がありますので、画面を共有させてもらいますね。

*ノーファーマー、ノーフード!

この写真はインターナショナル・コンファレンスが行われた場所で、ビルバオというところにあるバスク地方の国会議事堂にあたるところ、そこで行われました。そこにあるいろんなミーティングルームの一つ、コンファレンスルームを借りてやりました。

これはインターナショナル・ヤング・フォーマーズ・サミットということで、僕が一番面白かったセッションです。ファミリーファーミングの目的の中にですね、女性、農村女性の人たちがもっと活発になり、やはりジェンダーの問題、いろんな問題がありますね。そういう意味で、そのいい方向に解決していくことが必要であるという意識と、それから、これからの農業は若い人たちがやってくれないとどうしようもないですね。

ノーファーマー、ノーフードというような話で、農民がいなければ食べ物はないんだぞ、ということで、今回、ここに何人か座っていますが、こういう人たちがサミットで、いろんな自分たちの農業というものと、それから、そこで起こっている様々な問題というものをシェアしてくれました。それからこれはまた、ヤングファーマーたちが全員出てきてくださいということでやった話のところですね。それからいくつかありましたけれども、ここで使われていた言葉はスペイン語と英語とフランス語で、この下のステージのところに様々なセッションごとに、それぞれが自分の言葉でしゃべって、僕らは座席にあるイヤホンで自分の聞ける言葉に変えるということでやっていました。

*若い人たちは農業をやらない

そんな感じでやっていたわけですが、このセッションに出てきた人、若い農民たちがヨーロッパ、フランス、スペイン、そしてアフリカの人、それとアジアの人がフィリピンから出る予定でしたが、ちょっとビザかなんか色々な問題で出られなかったですね。そのほかに、カナダの人とか、場所が場所であったんでちょっとヨーロッパの人たちが多いような、それで自分たちがやっていることを発表しながら、その問題というのを語っていきました。

今回の中ではヤングファーマーの問題というか、やっぱり日本だけではなくって、発展途上国も含めて世界的潮流において、若い人たちは農業をやらないということなんですね。その中でひじょうに面白いと思ったのは、アフリカのトーゴから来た青年だったんですね。その彼は、こう言うんです。私は大学を出て、家に帰って、農村に帰って、農業をやると言ったら、うちのお父さん、お母さんに失望されましたと。みんな大笑いしていましたけれども。つまり、彼のお父さん、お母さんは、農業というのは大変な職業で、お金も儲からないようなことになるから、彼には大学まで上げて、そしてできれば政府や大企業とか、そういうところに就職して、いい暮らしをしてほしいのに、何で田舎に戻って来て農業をするんだと。しかもアグロエコロジー、オーガニックでやるということで、お父さん、お母さんには失望されましたということだったんです。

そのあと、彼と話したんですけれども、何でそれをやりたいと思ったと聞いたら、彼自身の物の見方は、本当にこれから生きるということは、絶対食べ物をつくらなきゃならないでしょと。それが一番、自分には向いていると思って、お父さん、お母さんとは違うやり方で、本当にいい農業をやりたいんだということで、その代表としてそこで発表したわけです。

一つ面白いなと思ったのは、そこにいた人たちはみんな、アグロエコロジーということです。これからの方向は農薬と化学肥料を使わずに、農業の方法としては、有機農業とか自然農業とかパーマカルチャーとか、いろんな考え方がありますが、そういうものをやりつつ、そして農民たちがそういうコープとかそういう形で、お互いが協同して自分たちの問題を考えながら、食料主権という言葉がありますが、そういう人たちが、今回の中にはちゃんと居てですね、ひじょうにストレートな意見を言っていました。

*農民は生かさず殺さず

ただヨーロッパのファーマー、若い農民たちはですね、こういうことを語っていました。農業というのは日本みたいに世襲制じゃないんですよね。そうすると親父のものでさえ、自分で買わなきゃならない。全体に自分たちにお金がない。で、ほかの農地を手に入れようとすると、もの凄いお金になって、そういうお金がぜんぜんないところでは、農業をやるにもやれませんと。で、国のサブシディというか、補助金というか、そういうものもひじょうに少なくて、なかなか農業をやって行く上で、国からのサポートとかというのがないと難しいよね、というのがヨーロッパの農業をしている人たちのひじょうに大きな意見でした。たしかに、日本も本当に農業を真剣にやる人たちを増やしていくためには、そのためのサポートというのが絶対必要になりますが、それが補助金という形なのかどうかは別にして、サブシディという言葉でそういうようなことを話していました。

そういう意味で、世界のグローバル経済のあり方は、こんなビリオネア(億万長者)がめちゃくちゃいるにもかかわらずですね、農業というものは、どこの国においても、本当に儲からない。だからみんな、やりたくない農業になっているわけですね。そもそも食べ物の値段が安すぎる。でも、何か安いのが当たり前であり、前のイベントのときに、日本の農家の、特に米農家の時給は20円(実際には10円)であるという、ショッキングな話がありましたけれども、本当に農業をやって生活ができないということは、これは日本だけじゃなくて、世界的なものであり、まさに古今東西ですね、農民は生かさず殺さずということで、百姓は生かさず殺さずと言ったのは、徳川家康だと言いますけれども、昔からそういうことなんですね。で、この考えが変わらないかぎり、農業がどんどん増えていって、人々が本当に健康的な、環境にもいい農業を多くの人がどんどんやって行くということは、たぶんあり得ないんだろうと。

そもそも一番大切な食べ物をつくっている農民たちに対する世界各国の経済というか、今の経済システムというものは、まさにそういう人たちにはお金をあげないという、この問題はひじょうに大きな問題としてあります。そのことを真剣に考えるならば、政府というものは、本当にその大切さを理解して、いわゆる政府のやることは何かと言えば、お金を持っている人からお金を取って、ちゃんと全体的に生活できるように分配をすることが本来の政府のありようです。もちろん、公共の物をつくっていくということがあるわけで、その調整を本来はすべきですが、今は大企業やお金持ちの人たちの言うことを聞く政府ですから、僕らはそれに期待することはできません。それにしても、やはり今回、世界の中で言われていること、問題とされていることは、日本で問題とされていることとほとんど変わっていないということを感じさせられました。

*どうなる? 日本のアクションプラン

それで、いろんな話があって、僕らがこれからの社会に明るい題材として期待できるものは何だろうかと思っていました。僕は色々なプレゼンテーションを見ている中で、いつも感心するのがフィリピンの人たちです。AFAにいたときも、フィリピンにオフィスがあり、そしてフィリピンの農民たちや農民グループの人たちと話をするんですが、フィリピンの人たちは英語もよく出来て、よくしゃべるし、明るいし、プレゼンテーションがめちゃくちゃ上手いんですね。今回、色々な国のものが紹介された中で、フィリピンのあり方は、本当に素晴らしいなと思ったんです。ファミリーファーミングの10年の中で、地域、いろんな国にぜひやってほしいと言われていることが、アクションプランをつくるということなんですね。で、そのアクションプランは国および農業団体や様々な関係する団体がみんなで話し合って、この10年間の中で、そのファミリーファーミングを本当にサポートしていくようなアクションプランをつくりましょうと。

ところが日本の場合は、このあいだ3月の院内集会で、その場所で午前中に農林水産省の役人さんと話をしたときに、はっきりと我々はアクションプランをつくりません、なぜなら日本の農業政策は97%のファミリーファーミング、家族農業の人たちのためにやっているから要りません、と言われました。ファミリーファーミングというのは、最初に言ったように、環境を守り、地域の文化を守り、そして食べ物をつくって人々を養う。そういう人たちを生きていけるような形、本当に喜んでかかわりながら生きていけるような形でサポートすることですが、僕はファミリーファーミングというのを何と見ているかということに関して彼らに聞きました。環境など色々なポイントはどういうふうに考えていますかと。そしたら、まあまあみたいな感じで、我々は国連が言っているファミリーファーミングなんて、別にどうでもいいんだよ、みたいなことを言われたので、まあ流石だねと変に感心してしまいました。

*つながることが力になる

その中でフィリピンは今、着々と国と交渉しながらですね、本当に素晴らしいアクションプランをつくっています。でこれ、どうしてできたんだろうか。実はですね、フィリピンは、僕がかかわっていたAFAのもともとの事務所があるところですし、そこの事務局長もフィリピン人ですから、ひじょうに良く分かるんです。一つのポイントはですね、やはりまあ農業グループ、農民グループといっても、フィリピンの中にも地域にたくさんあるわけでして、じゃあ、農業グループというか農業団体というのが、みんな仲良くて、みんな一緒にやるかというと、そうでもないわけですね。いろんな考え方があって、それはどこでもそうなんですね。ですから、フィリピンで起こっているのは、ほとんど全ての農業グループと、それから政府ですが、政府はしょっちゅう変わるわけです。今、昔のマルコスの息子になっていますよね。その前もいっぱい変わっていくんで、彼らも言っているわけです。とにかく政府はどんどん変わっていくんだから、こちらの方から政府に対して呼びかけをしながら、テーブルに付いてもらってやっていると。

何でそこまで力をつけられたのかと言ったらですね、彼らはいわゆる国連を使うと言うんですね。FAOとか、IFADという国際農業基金、これも国連の団体です。そしてそのIFADとFAOがファミリーファーミングを進めることになっているんですね。その中で僕がかかわっていたそのAFAという団体は、ちょうど僕がやっていた頃は、IFADというところから、2、3億ぐらいのお金をもらってですね、そして農民グループ、それぞれの国の農民グループにお互いに連絡を取りながら、様々な問題を協力し合うような、そういうMCPT2という、これは説明しませんけども、そういうようなプログラムをやっていて、それをコーディネーションする仕事が主だったんですね。農業グループ、農業団体というのは、それぞれの国にいくつかありますが、あんまり関係性が良好であるというのが言えない部分がずいぶんありました。それでその地域、その国の農業グループの人たちが様々な形で、キャパシティ・ディベロップメントと言いますが、力を付けて、そして政府とも交渉できるような形をちゃんとサポートしようというのがそのプログラムで、その結果がひじょうに如実に現れたのが、僕はフィリピンのケースだったなと思ったんですね。

フィリピンの中でも僕らが知っている団体とそうじゃない団体はあんまり仲が良くないとか色々なものがありましたけれども、今回のファミリーファーミングでものごとを決めるためには、それぞれに連絡を取り、ちゃんと一致して政府に対してね、まあ日本で言うならば農業団体。そう一番大きいのは日本ではジャパン・アグリカルチャー、農協というのがありますけれども、農協も含めてですね、このFFPJも有機農業関係の小さな団体もですね、みんなが一緒になって政府に対して、ものごとをちゃんと考えようということをやっていたのが、そのフィリピンであり、そしていわゆるブラジルであるとか、インドネシアであるとか、そういうアグロエコロジーがけっこう盛んなところです。そういう形で進んでいるというのが見えて、ひじょうに面白かったですね。

そのときに一番面白いプレゼンテーションをした人に、参加者全員から、彼のプレゼンテーションは素晴らしいということで、彼はシュプレヒコールを浴びていました。彼はフィリピンの人で、僕の友人でもあり、彼がビバ・ファミリーファーミングと自分たちの言葉で言って、これはここでは何て言うんだとみんなで呼びかけて、ファミリーファーミング万歳みたいにやっていました。あのひじょうに明るい、そういう意味では、特にフィリピンやインドネシアなんかは、政府と一緒に貧困の問題、農民がちゃんと生きていけるような形を何とかしなければならないと考えている人たちが少しずつつながる。まだまだ簡単に解決はされないと思うんですが、そういう機運が見えているということがあって、それはひじょうに印象深かったです。

*地元愛が地域と農業を潤す

そんなわけで、いろんな5年間の中で、何が達成されたかというのを一つひとつ具体的に検証するようなコンファレンスではなかったんですが、それぞれの国々から来て、お互いに状況を知らせながら、残りの5年に向けて、頑張って行こうということをみんなで確認したという、そういう感じでした。で、僕はひじょうに印象深いやつがいくつかあって、また僕の昔の友達、仲間に会えて、楽しい時を過ごし、そして最後の日に、近くに農村ツアーをするということで、農村と言うよりは、バスクの農業研究センターみたいなところに午後から行きました。そこの活動を見てきて、そこで食事をしたり、最後のお別れのパーティーをしたんですが、僕はそこから今回のコンファレンスを開催したバスクというところに凄くこれからのあるべき姿というものを見た気がしたんですね。

そこに行ったとき、最初に僕らにプレゼンテーションをしてくれたんですね。プレゼンテーションは何をしたかというと、バスクという国を歴史的に説明して、私たちはこの国で生きていくために、100%、食料を自給するんだと。そして、この食べ物はバスクで生産されましたというシール、つまり認証制度みたいなシールを貼って、バスクの人々の間では、98%の人がこのシールの意味を良く分かっていて、なるべくそういうものを買うようにしている、そういう話なんですね。

バスクと言えば、サンセバスチャンというところは、そこのレストランが、近くの農家、有機農業だとか、そういうものとつながって、そしてレストラン同士もお互いのレシピをシェアし合い、そのちっちゃいところにミシュランの3つ星レストランが4つくらいあり、世界で一番、高密度にそういうところがあるということで世界的に有名になっている場所です。ビルバオから車で1時間くらいで行けるところでしたが、そのくらいバスクというところは、ひじょうに食文化が豊かです。じゃあ耕地面積はどうなのかというと、ほとんど山ですね。ちょっと平野がありますけれども山あい。山あいであるがゆえに、独立運動で攻められなかったというか、残れたというのがあるんでしょう。山あいであって、地域地域によって文化が小さいながらも多彩であり、そして自分たちのことを凄く誇りに思っているようでした。そこの人たちはケルト人だというふうに聞きましたけれども、そんなわけで、自分たちの問題は自分たちで解決する、自分たちは仲間だという意識がひじょうに強いんですね。農業の研究センターの最初のプレゼンテーションがそれなんですよね。

*みんなが豊かに生きられるように

そのあとに見せられたのは今、食品ロスという問題がたくさんあるということで、食品ロスをなくすために、いろんなことをやっている。その一つとして見せられたのは、そこはたくさんブドウをつくってブドウ酒をつくるんですが、ブドウというのは実を使うんです。その実に付いている、房が付いている最後の枝というか何と言うんですか、ありますよね。あれを今までポンポン捨てるか堆肥にしていたりということなんですが、それを家畜の飼料にできないかということで集めて、様々なプロセス、科学的なプロセスじゃないですよ、乾かしたりなんか、いろんなことをしています。それで繊維質がひじょうに多いものですから、それを粗飼料として使えるということで、食品ロスをなくすための一つの方法という形でそれをプロジェクトとして、一生懸命、研究をしていたりとかということです。

彼らは自分たちの国はスペインだけど、スペインよりはバスクだという考え方がありますから、そういう意味において、真剣にその国の中で食料をきちんと賄い、そしてみんなが豊かに生きていけるという考え方。彼らはいわゆる公務員なんですけれども、それがひじょうにはっきり出ていて、やっぱりスモール・イズ・ビューティフルというか、ガバメントと言いますか、その団体、地域というのも、適正なサイズがあるんだなあと思いました。大きな国になってしまうと、全体としてのまとまりがなくなるし、地域地域の課題というのもひじょうに多様になります。そうすると最終的に何か力が強いところとか、お金の問題とか、そういうことで動いてしまうところがあります。みんなの目が見えて、そして適正な規模であるバスクという小さな自治区というのは、本当に農業の研究センターで働いている人たちは誰もがですね、このバスクというところを良くして、農民みんながちゃんと生きていける。そしてそこに住んでいる人たちに、ちゃんとすべての食料が自給できるように、色々なものを無駄にしないで、きちっとしたリサイクルや食品ロスを考える。そのベースの中で、バスクの中にWRFという、国際農村フォーラムというのが出来て、その団体が誰もが考えていなかったファミリーファーミングという、一つの概念を国連に認めさせ、それで今、このようなことが起こっているということです。

僕がAFAのときに会った代表であるとか、僕の仲が良かった元代表とか、そういう人たちと会うことができてですね、いろいろ感慨深く、もう一度、ファミリーファーミングの意義というものはいったい何なのか。今の時代、グローバル経済の中で、経済至上、お金さえ儲ければいいって、そういうシステムで出来ていて、日本では今、プチバブルですよね。いろんなものを見ても、タダでお金が儲かるとか、ここに投資すればいいみたいなものがどんどん出ていて、本当の人間の生活とは、生きて行くとは、食べる物は、そして環境は、そういう一番本来は大切なことに目が行っていないのがこの時代です。

また日本においては、そのファミリーファーミングの考え方そのものも、もう農水省の人はその意義もあまり感じてないような中にあって、ファミリーファーミングという、これからの人間が、地球上で生きて行くためには、本当にこの人たちが生きて、そしてその人たちのやり方、農のあり方が自然を壊さずに人間の健康を守る。そういうものになっていく方向以外に僕は本当に地球で人間は生きていけないというふうには本質的に思うんですが、でも今の全体状況の中では、そういう方向には全然、動いていない。そういう中において、この意義は何なのかということを改めて、感じさせられたことだったなと思っています。どのくらい話したか分かりませんが、話しすぎていると思うので、この辺でいったん終わりたいと思います。