FFPJ第32回講座、編著者と語るシリーズ第3弾、ほんとうのエコシステムってなに?林業編 持続可能な森づくりってなに?が8月23日(金)19:30〜21:00に行われました。
パネリストは、編著者の佐藤宣子さん(九州大学大学院農学研究院教授、「暮らしを支える林業/林業経営と森林政策/海と森をつなげて考える」を執筆)、齋藤暖生さん(東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林樹芸研究所所長、「木材だけではない森林からの恵み/新興する薪ビジネス」を執筆)、上垣喜寛さん(FFPJ副代表、自伐型林業推進協会事務局長、「自伐型林業の可能性」を執筆)。本の紹介ページはこちら。
以下は講座の要旨になります。末尾にある動画もぜひご覧ください。
*佐藤さん
皆さん、こんばんは。ご紹介いただきました九州大学の佐藤と申します。第3巻シリーズの第3巻「本当のエコシステムってなに?」の林業編を編集担当しました。よろしくお願いします。先ほどご紹介いただきましたように、九州大学で森林政策の研究をやっております。小規模林業経営や家族経営林業、そういったことをずっとテーマにして研究をしてきました。今日は、東京大学の齋藤暖生先生、自伐協でFFPJの副代表の上垣さんと3人で対談という形で進めていきたいと思っております。よろしくお願いします。副タイトルは「漁業と林業を知ると世界がわかる」、林業編を今日は紹介して、次回、漁業編については、行われるというふうに聞いております。
この第3巻を通じた特徴は、前回、前々回とグローバリゼーションとサスティナビリティの巻でも紹介があったと思いますが、この3巻全体を通じたこととして、高校生に対して問いかけで始めるけれども、必ずしも正解がないような、そういったものを考えてもらう。そういうきっかけにするということ。それから、それを批判的にとらえる、クリティカル・シンキングを持てるような、そういった題材を取り上げるということ。それから3番目に個人の問題に引きつけると同時に、構造的な問題をとらえられるような両にらみの書き方をするということ。それから全体を見通す眼力を養うという、そういったこと。眼力というのは、構造的な問題への意識化へと連動するということと、日本の常識と世界の常識、そして世界は様々であるということを、様々な視角とそれから必ずしも統一した見解ではない、著者によって違う意見も含めてですね、そういった議論できるような、そういった素材を提供するということで、編集をやってまいりました。
第3巻目はですね、エコシステムということで、実はエコシステムという言葉は、章の中ではほとんど出なくって、一番最後の、「おわりに」のところで私が書いていたところで説明しています。あとで考えると全体がそういうふうになっているかなというふうに思います。水や物質の循環および生物の多様性とその連関から成り立っているということで、海と森というのが地球上の多くの部分を占めますし、そこで生物の多様性というのも育まれている。そういった場を利用して、あるいはそこの資源を上手く活用しながら、漁業と林業が営まれているという、そういったものの全体を通じてエコシステムということを問いかけるという、そういった第3巻になっております。
林業編なんですけれども、大きく、世界の林業と日本の暮らし。それから、日本の森のあり方。それから持続的な森づくりと林業経営ということで、大きく3つに分けております。かなり多くの方に書いていただいたので、編者としては非常に苦労したところであります。第3巻の林業編でどういったことをメッセージとして特に発したかったかというと森の恵みを実感すること、私は大学の教員で、低年次、1、2年生にも森のことを話す機会があるんですけれども、紙の原料が木材と知らない学生がたくさんいます。それから農業と漁業というのは、食べるものを生産するので、あって当然というふうに思っている学生もほとんでですが、木を伐ったら環境に良くないという、そういったことを、本当環境問題を深くというか、興味がある学生ほど、そういった考えにあります。つまり林業を否定する学生が多いということです。これは世界的な森林減少と劣化、いわゆる人間が資源を食いつぶしている、過剰利用をしているという、そういう側面が非常にインプットされているからだと思うんですけれども、ひるがえって国内の問題を見ると、資源を急激に利用しなくなった、そういった歴史の中で、過少利用の問題があって、エコシステムがきちんと回っていかないという現状にあります。そういった現状をとらえてですね、まず私たちの生活というのは、森からの恵みで生きているんだよっていうことをきちんと認識することと、それから日本の国土と森林の森のあり方を知って、風土と共にある林業のある林業のあり方を展望するということを意識して編集を行ないました。
それでまず、身近な日本の森林での気づきを重視ということで、私たちが今、どのくらいの木を使っているかや、そういったどういったものが森の産物としてできているかということから始めています。それと地球規模のさっき申した森林減少、劣化というのも触れているんですけれども、グローバリゼーションのところなどでも、第1巻でもパームオイルとかサスティナビリティのところで出てきているので、どちらかというと、この日本の国土において災害が非常に多い、そういった国土において、森林がどのように作られて、利用してきたかを長い時間軸でとらえるということ。それとですね、一番最初に言った、批判的な精神、クリティカル・シンキングを持つためにもですね、きちんと基礎知識を持たないと、批判的な考え方もできないんじゃないかということをかなり私は意識をして、自然科学研究者の記述が多い、そういったことになっています。特に先ほどの2番目の森のあり方のところ、大久保先生ですとか、五味先生、福田先生、山下先生、伊藤先生っていう、ここの日本の森のあり方というところで、自然科学の先生方に書いてもらったという経緯がございます。それと森が、森林が長い時間で形成、保全され、様々な環境、川や海とつながっていることを示す章立てにしております。
私の周りで読んだ感想として聞いたことは、漁業と林業を一冊で読んで、漁業と林業がつながっているというのが改めて分かったということの意外性ですとか、面白かったと言ってくれる読者の方が多いという気がしています。それと、もう一つ、先ほどの農業と漁業というのは、食べ物を作るというのが林業と違いますよと言いましたけれども、もう一つ、大きく違うところがあります。それはこのFFPJとも関わりますけれども、林業というのを用材生産、つまり木材を柱とか、桁とか、家の材料として使うとか、パルプ生産、紙の材料だけ見ると、家族林業経営というのは、実は戦後に成立したものです。木材を伐採するというのは、川で流さないといけないとかですね、労働力をすごく多く使う、そういった作業は家族でできるものではありませんでした。家族経営というのが成立したのは戦後の1970年代以降、チェーンソーとか小型機械ができてからです。そして今も主流は企業や森林組合での雇用労働力中心の生産であるということが、農業、漁業と大きく違います。そのため、政策的な支援も、家族経営というのを無視してもできるという、そういった状況になっている状況にあります。なので、その中でどういった弊害があるか、それからオルタナティブを考えていくには、この林業イコール用材生産をとらえるということに対して、いやそうじゃないよ、ということ。それから企業や森林組合などの雇用労働中心だけではない林業というのが、実はエコシステムだとか多様性につながるという、そういったところまで、第3部のところでですね、とらえてもらえればというふうに考えております。
じゃあ、どれくらい家族経営というのがあるのかということなんですけども、これ2020年の世界農林業センサスの結果です。ここでは大きく、木材を伐採する担い手について把握されています。横軸の右側が個人経営、家族労働力が中心、左側が団体経営体と言われる雇用労働力が中心。そして縦軸がどういった山を施業しているか、上側が自家保有山林。、自分で所有、保有している山林からというものと、下側が、ほかの人の山を受託したり、立木を購入したりという、この4つに分けることができます。いわゆる農家的な、自分の農地を自分の家族で耕すという、これは自伐林家と言われるもので、生産量では約6%。で平均の規模が435m3、そして家族経営でも他人の山をやっている人たちもいる(B)。それから大きな所有者さんでは、直接雇用している部分(C)、それからDの部分は今、生産の70%を占めますが雇用受託型と言われるもので、ここが規模拡大をどんどんしています。政策的にもここを後押しして、機械を導入するときに半分補助するとかですね、そういったことで、ここが推進されています。こちらのAが平均435m3なのに対して、ここのDでは平均で8725m3なので約20倍。生産体系もぜんぜん違うという、そういった状況です。
この統計自体は、200m3以上の統計なので、それ以下の小規模なところはとらえきれてないということ。それからこの小さい、とらえられてない中で、あとで上垣さんからお話していただきます自伐型林業というのが、自分の山でとか、それから他の人の山を借りてだとか、そういった新しい動きが始まっているということを、ここで図で示しています。このDの今、政策的に重視されているところではですね、林業の機械化というのが規模拡大を後押しする推進力になっています。こうしたハーベスタ、プロセッサ、フォワーダという、こういった3点セットと言われるんですけれども、こういった機械が山の中に入って、素材生産をするようになってます。この3つそろえたら、だいたい1億円くらいしますので、高額な機械設備投資で、まとまった施業地がないと採算に合いません。
写真のようなですね、平坦地でやるんだったら、それほど環境負荷は掛からないんですけれども、日本は平坦地ばかりではなくて、傾斜地もあるので、粗雑に作設された集材路から土砂の流出・崩壊が始まるという。そうした問題が行政文書にも書かれるくらいの、最近の災害が多く起こる中で、発生しています。実際に熊本の南部に行って撮った写真ですけれども、先ほどの機械を入れると、こういったジグザグの道になってですね、集材路から崩壊するという、そういったことも見られます。そういった中で私がオルタナティブとしてとらえる視点としては、先ほどの林業を用材生産だけみると家族経営というのはすごく少ない中で、まず1つ目が用材生産だけではない薪やキノコ、工芸品など、「細々とした産物」というふうに齋藤先生は書かれていますけれども、林野副産物および農林複合経営、アグロフォレストリーなどの土地利用の複合化の重要性ということを1つ打ち出しています。
それから2番目が新たな動きとして、先ほど申しました環境保全型林業を指向する。そしてそこに若い人が参入している自伐型林業の可能性があります。これは福井県の写真です。若者が多いことが分かります。それを副産物のことについて、齋藤先生にここのテーマ2-3と、コラム2-2。それから自伐型林業について上垣さんに2-14で書いていただいたということです。ではここでバトンタッチをして、齋藤先生の方から紹介していただきたいと思います。お願いします。
*齋藤さん
皆さん、こんばんは。東京大学の演習林の斎藤です。
東京大学の演習林の樹芸研究所という静岡県の南伊豆にあります演習林に勤務しております私の専門は、佐藤先生と同じく森林政策学ですが、これまで主に山菜採りやキノコ採りに関する研究をしてきておりまして、おそらくそういったこともありまして、佐藤先生の方から、木材だけではない恵みというようなことでお声がけをいただいたのかなというふうに思っております。
時間も限られておりますので、さっそくですが、私が執筆させていただいた2つのトピックに関して、どのようなことを書いたのか、あるいはどのような思いを込めて書いたのかというようなことを簡単にご紹介させていただければと思います。先ほど佐藤先生のご説明の中にもありましたが、佐藤先生は「おわりに」のところで、エコシステムについて書かれています。エコシステムは水や物質の循環、および生物の多様性から成り立っていると述べられておりまして、私の方で特に関係するのが、ここで言う後半の部分です。生物の多様性とその連関というのが、木材だけではない森林からの恵みと直結しています。つまり恵みと言われるものが、エコシステムから出てきているということを私は書こうとしたと思っています。それをひと言で言ってしまうと、森に暮らす様々な生き物がいて、そのことで日本に暮らす人びとは衣食住を満たしてきた、ということです。衣食住を広くカバーできるだけの多様な生き物が棲んでいる。それが日本の森だということですね。それから、衣食住の恵みというのは、庶民にとっての恵みであって、日常生活における恵み、そういうような特徴を持っているんだ、ということも考えていました。それぞれについて、少し詳しく見ていきたいと思います。
本の方では、イラストを書いていただきました。私の拙い原図をこのような素敵なイラストにしていただいて、非常にありがたかったです。何を表したかったかというと、森というのは、いろんな生物、木だけじゃなくて、キノコや草もありますよ。それから植物といっても、縁に絡まっているつる植物とか、色々なタイプのものがいますよ、ということです。そして、その多様な生き物を、そこに暮らしている人が何に使ってきたのか。それぞれにちゃんと用法があった、ということを整理しようとしたものになります。本当にざっくりですが、衣食住ぞれぞれすべてこの森の生き物がいれば満たされるということ、満たされていたということが分かるかと思います。
少しだけ例を出します。例えばこれはしな織です。シナの木という木の樹皮から繊維を取って、織物が作られました。それから食は枚挙に暇がないですが、これはトチの実を水でさらしているところです。このような主食になるようなものから、嗜好品となるキノコなどが森にはあって、それが恵みになってきました。住はもう言わずもがなですね。木材が柱や土台として使われていたり、カヤが屋根に葺かれていたり、薪も使う、というようなことです。佐藤先生のお話の中にもありましたが、用材は、かつては日常の恵み、庶民の恵みではない、というものでした。針葉樹の良材は、権力者が押さえるものですし、非常に大きなものですので、それを伐り倒して使うには、特殊な職能も必要でした。人びとがおいそれと使えるようなものではなかったということです。これは江戸時代の森の模式図ですが、例えば森に優良な針葉樹があった場合には、その下に生える雑木や下草は住民が取れるけれども、針葉樹に手を出してはいけない、となっていました。
この用材の部分だけ、取り出そうとしているのが人工林ですね。今の人工林は、幹材、しかも幹材も下の部分、つまり市場に出してペイする部分だけしか使わないということになりますが、この図をみると、先ほどの図との違いが一目瞭然だと思います。
森には様々な生き物がいて恵みになってきたことを確認しました。林業界ではよく言われているのが、林業産出額の半分くらいはキノコ、つまり用材以外の森の恵みだということです。実際に農林水産省のウェブサイトで、このようなデータが公表されておりまして、上の方が栽培キノコの生産額、下の方が木材生産を示しています。このように、ほぼ半分がキノコだと言われていることで、稼ぎ頭だと思われることもあります。しかし、必ずしもそうではない、注意が必要だ、ということも書きたいと思いました。載せてもらったシイタケの写真は、原木栽培ですね、木を使って栽培しているキノコです。このブルーの写真は菌床栽培です。この写真の場合は、実は木を使っていません。しかも工場の中で、全て空調も完備されているところで作られています。キノコの種類ごとに事情は違うのですが、グラフはシイタケの栽培技術の割合を見たものです。下の段が原木栽培、つまり木を使っているもの。シイタケに関しては、菌床栽培に木は使いますが、工場で作る技術による生産量が9割を超えている。シイタケ以外のキノコはもっと早い段階で、1970年とか80年の段階で90%を超えています。こういった工場環境で作るという現状があり、これを本当に森の恵みと言っていいのか、という問題提起をしてみたつもりです。
それから大事なこととして、多様な恵みが森のエコシステムからもたらされることを考えたとき、使う人間の側とエコシステムが非常に密接な相互関連的な関係にあるということを書きたいと思っておりました。先ほど見たように、庶民が使うのは低木、つる植物や笹、竹、草が多いです。ここらに示した道具は、そういったもので作られていますが、素朴な手道具で作られたものです。原料となる植物が生えるのはどういう場所かというと、人間が刈り取ることによって、森が若返り、ボサボサと草木がまた生えてきたようなところです。そういう植生環境は、里山などと呼ばれるところです。そういったところで日々の暮らしの材料が採れます。一方、その植物や生き物の立場からすると、人が物を採るという営み、生業があることによって、好ましい生育環境になることがあります。典型的なのはマツタケですね。人間が山に入って、木を伐りだしたり、落ち葉を掻きだしたりというようなところで生きてきたのが、こういったマツタケで、相互に依存し合うような関係が見られると思います。あたかも生業が、エコシステムの一部のような見方ができるのではないでしょうか。
それからもう1点言っておきたかったのが、複数の生業が組み合わさることの意義についてです。本の中で書かせていただいたのが、いわゆる林業、育成林業では下刈りのときに邪魔になるような、つるとか笹などは、見方を変えれば、恵み(goods)になるということです。邪魔者(bads)がgoodsになる場合があるので、複数の営みが存在することが、今後の林業のためには大事じゃないかというようなことを書きたいと思いました。それから、この複合することの意味は、テーマ2-13で興梠さんが林業経営上の利点というようなことで紹介されています。
それからコラムの方にも簡単に触れておきます。ここでグラフを出してきたのは、一番新しい林業白書からです。着目していただきたいのは、この青い部分で、燃料材なのですが、最近、この燃料材がまた復活してきているということです。最新のデータだと燃料材が木材利用のうちの20%を超えています。ここにどんな問題があるか、泊さんがテーマの2-4で書かれています。このほとんどがバイオマス発電だということですね。私の方ではバイオマス発電ではなく薪のに着目したという位置付けになります。
現代における薪について山梨県道志村の事例から考えました。現代の薪の性質を示そうと掲載した表ですが、これにより、単位熱量あたりの価格で見ると、非常に高価な燃料というようなことになります。高価だから売上はすごいだろうと思いきや、確かに売上は高価になり得ますが、実際には費用が掛かるという事情があります。この事例では、非常に手間が掛かり、そんなに収益というような意味では期待できないということが示されます。これを書いている時に私は山中湖村にいたのですが、そこの業者は収益が出るためにはということもあり、エストニアから製品薪が輸入していたということを知りまして、これは非常にショックでした。この道志村の事例から見えてきたのは、薪ビジネスは、その収益性ではなくて、人工林の間伐木の活用、あるいは地域住民と協働してやっていける、というような社会的な意味合いというのが大事ではないか、ということです。
最後に、この本が素晴らしいなと思うのは、問いかけをちゃん各著者に出させたということかなと思っています。私なりにこの問いかけは、今は離れている森林に関することを、自分事にする仕掛けじゃないか、というふうにとらえました。それで、ここに書いてあるような問いを、実際には本の中で書かせていただきました。簡単に紹介すると、例えば、キノコの製造場所の立地です。これはHという有名なキノコメーカーですけれども、その工場をウェブ上の地図にプロットすると、高速道路上に工場がある。クローズアップするとこんな大きな交差点の脇に工場がある、つまり町場で作っているのがキノコで、森で作られたものではないということが見えてきたりします。暮らしの中の木へん、草かんむり、竹かんむりというのも、今は何になっているかなと調べてみます。例えば筆なんかも、もう樹脂や金属でできたシャープペンシル、ボールペンになっています。こんなところから、森とのつながりがどのように切れてきたのか、想像できるようになるかなと思って書きました。長くなりましたが、以上です。よろしくお願いします。
*佐藤さん
はい、ありがとうございます。次、上垣さん、そして順番が前後してしまったんすけど、出版社の阿部さんにお話しいただきたいと思います。そしたら上垣さん、お願いします。
*上垣さん
はい、上垣です。
*佐藤さん
私が共有したらいいですか。
*上垣さん
はい、4分類のところ、あとはですね、正解がないというところかな。正解がない、全体を見渡す眼力を養うというところの冒頭のところですかね。そういったところから、4分類の図で話せると思います。
齋藤先生の話しているところも聞きながらですね、自伐型林業につながるところもすごくありまして、すごく思っていたところがあるんですけれど、森の恵みとかですね、あと田舎の暮らしをしたいとか、結構、今、私は小田原に住んでいるんですけども、東京とかでIT企業に勤めていた人たちが、少し田舎の方、自然環境のあるところに移りたいというような動きがあるなっていう。そこから本当にIT業界にいるんだけど、何か山のことで私に聞いてきたりというような人たちが多くなってきているなという感じで思っております。今回の本の中で言うと、少し特異な存在というか、今までの林業の蓄積を積み重ねてきたところがほとんどなんですけど、この自伐型林業の可能性というところだけ、10年前に初めて、自伐型林業という言葉なんかが出てきた新しい動きになっています。ただ一方で、問いかけですね、正解がない中での問いかけを言っているんですけれども、少しやっぱりヒントが必要というか、新しい動きの中で、私たちは10年前から自伐型林業という運動を起ち上げまして、そこに今、3千人くらいですかね、が新しい動きをしてきたというところになります。斎藤先生の話に続けたのは、その森の恵みを活かしたいという、いい人たちはたくさんいるんですけれども、そこを何か生業にして、仕事にして、収入にして、自分たちの暮らしを起ち上げるようなものだったり、過疎地のところで、何も産業のないところで産業を作ろうとしているという動きは、今、自伐型林業の動きの中であるというところをご紹介したいなというふうに思っております。
私の自己紹介をいたしますと、林業のことなんかぜんぜん知らなかった人間でした。で、10数年前にこの農文協の本、農文協の編集者からですね、上垣君、面白い人がいるよということで紹介されたのが、自伐型林業の運動のリーダーになった中嶋健造という人で、当時は佐藤先生のプレゼンでもあったように、私が大学時代というのは20年前なんですけれども、実は私も、山を先祖が持っていて、林業をやりたいなと大学時代に思ったんですが、1億円かかると、林業をやるには。大学を卒業したばかりの私には1億円の借金して林業をやる勇気がなくてですね、諦めまして、そこから10年後に、その農文協の編集者、甲斐良治さんという方から紹介いただいたのが、中島さんという方です。1億円なんか要らないよと、2、300万から始められるよというところから、何だこういう林業があるんだというところの動きからの話でした。
4分類で言いますと、この右上にある自伐林家ですね、私はもともと将来的に本当に引き継ごうと思えば自伐林家としてやろうと思っていた。芽を持っていたというのかな、自分で言うのも変なんですけれども、やろうと思っていたんですけれども、その私の書いた文章の中でも書いてあるんですけれども、この自伐林家というものは戦後の林業、林政の中で、ちょうど10数年前に、この自伐の林家たちは小規模な方ですけれども、小規模な林業家たちが多いと。その人たちは生産性がない、意欲がないという言い方をしているんですけれども、間伐する意欲がない人たちが多いので、その人たちは切り捨てて、切り捨ててとは言わないですよ。ただ実際には補助の対象から外して、大きく山を確保できる人、1億円の林業機械を持てる人たちに補助をしますと。大規模集約化にしますという動きがありました。
で、私たちがそういう自伐型林業の動きをしたのが、この自伐林家、切り捨てられた自伐林家がとてもいい山づくりをしているということで、この人たちの林業の活動をもう一回、復活させようというか、その人たちが捨てられないようにしようということ。そしてその森づくりをやりたい人というのがとても多くいたので、それを自分が持っている人たちだけじゃなくて、Bにあたる人たち、山を持っていないんだけれどもやりたい人たちに広げていく。なので、山を持っている人と地域で住んでいる人たちが自分の住む集落なり、見渡せるところの中で林業をしていくことで生業をつくるということで、自伐型という林業をつくったということがあります。
そうして広がったところで今、10年来て、冒頭に伝えたとおり、3千人くらいの動きが出てきたんですけれども、特徴としてはですね、小規模にやっていて、ボランティア的にやっている人たちというのは昔からいたんですけれども、小規模ながらも質を上げていく、量を上げていくんじゃなくて、質を上げていく。いい木をたくさん伐っていって1年あたりの収入を得るんではなくて、いい木は極力、残しておいて、少ない量ではあるんだけれども、丁寧に市場価値を高めることによって、本数としては少ないけれども、1本あたりの市場価値を上げていくような林業生産をしていくと、いうことをしていきました。なので、漁業で言うと、たくさんの量をガバッと網で引き揚げていくようなものではなくて、この魚、ちょっと可哀そうだなというのがリリース、とか90%収獲しちゃうとあとの10%では、来年、ほとんどいなくなるなって思えば、それを極端に2割くらいに減らしていくような、資源を収奪しないような林業をしていきました。今の林業ではだいたい50周期、50年、60年で伐りどきだということで伐採するんですけれども、私たちはこの自伐林家、Aの自伐林家に倣って、とってもレトロなやり方を学んで、200年育てていく、130年、150年やる、杉も檜もあるよと、人工林だからと言って、全部伐るんではなくて、人工林の中でも天然林に行けるような森づくりをしていくってことで、この森づくりのやり方を確立体系化して、今、全国で広げているところです。
あと、2分で言いますと、今、林業界では、だいたい林野庁の予算としては3千億あります。で、3千億のほとんどが、大規模な方の林業に予算が当てられています。私たちのような自伐型林業というのは、まだまだ行政文書で少し、出始めたところでやっているので、国を動かすほどの力はないんですけれども、災害の観点ですとか、あとは担い手の、これだけ50万人いたところから、今、4万人程度になっていると。割合で言うと、92%がいなくなっている産業の中で、逆にゼロから3千人くらいになってきているという、わずか10年で補助もほとんどない中で、これだけの動きが出ているところに、今、自治体とともに、自治体がやっぱり大規模じゃなくて、自治体の予算でわずかではあるけれども、自伐型林業というところに可能性を見出して、やっているところが現状になっております。あとのところは対談のところで、触れたいと思いますけれども、キーワードとしては、その担い手というところと、あとは災害ですね、災害を極力、減らすような林業をやることによって、今後の日本というとあれだけれども、海外との調査とかもしてますけれども、実は見えないところで、この自伐林家、小規模林業家というものが、今も根付いて、世界では注目されているのではないかと、FFPJの家族農林漁業プラットフォーム・ジャパンでもそのような小規模林業者が要るんではないかという視点で今、活動をしているというところになります。ひとまず、以上になります。
*佐藤さん
はい、ありがとうございます。では、お待たせしました。阿部さんの方からお願いします。
*阿部さん(農文協)
はい、佐藤先生、出版社として第3巻への思いと反響を併せて話すということでいいでしょうか。
*佐藤さん
はい、そうですね。
*阿部さん
岡崎さん、1枚目のスライドから共有していただけますか。改めまして、農文協の阿部と申します。1回目、2回目に続いて、またお時間をいただきまして、ありがとうございます。本来、今日は第3巻の担当の田口がコメントさせていただく予定だったんですが、にわかに体調を崩してしまいまして、代理で私から5分ほど話させていただきます。
先に反響的なことも含めて話しますと、前回前々回も少し話したんですが、地理教科書出版社の二宮書店の編集者が、この「テーマで探究」を大変面白く読んでいただいて、これをぜひ高校の地理総合や地理探究といった教科の授業で活かすような提案を、二宮書店の媒体でやりたいということで、『地理月報』で、「テーマで探究」の特集を組んでくださったんですね。その中で3本、1巻、2巻、3巻からそれぞれ1つずつの記事を取り出して、それで授業提案をするという仕掛けになってまして、3巻からは、今日お見えの齋藤先生に、今日ご報告いただいた中身を、タイトルを少し変えて「森林の恵みと私たちの暮らし」という授業提案としてご執筆いただいてます。この意味合いは、地理総合の中でも、林業が取り上げられているんですね。農業もそうなんですけれども、どうしても社会科で農林業を取り上げると、すごくネガティブな取り上げ方になる。例えば、戦後の日本の林業というのは、どんどん用材の自給率が落ちてきて、その原因は外材の輸入であって、それから高齢化の問題があってとか、そういう説明が書いてあるんですけれども、そういう問題の立て方で考えていっても、高校生の暮らしには結びつかないと思うんですね。ですので、この二宮書店の編集者は、齋藤先生の「森林の恵み」という視点で見ると、高校生の暮らしにも林業というのがつながるということに着目してくださったんじゃないかなと思います。なので、タイトルも「私たちの暮らし」。これ、佐藤先生が先ほどおっしゃった、学生にとっても林業と自分たちの暮らしがつながってないよと、ということと通じる話かと思います。
それでこの「テーマで探究」を企画している途中に、開発教育に関わっているNPOの方に相談に行って、この企画どうでしょうかって聞いたらですね、予想外に、農業よりも林業とか漁業の食いつきが良かったんですね。このNPOの方はパームオイルの問題なんかで、中高校生に教材提供をしたりワークショップをしているんですけれども、中高校生向けのいい林業とか漁業の教材が少ないということで、そこをぜひアピールすべきだという、アドバイスをいただいたという経緯があります。林業と漁業をくっつけて1つの巻にすることの意味合いを改めて感じたところですね。
農文協の職員は主に図書館の司書の方などにこの本を勧めて回っていますので、なかなか現場の先生まで話を聞くことはできていないんですけれども、例えば愛媛県のある私立高校の先生は、この「テーマで探究」を見て、テーマの入り口がまとまって、「問い立て」から入っているってところが非常にいいというふうにおっしゃていただいた。去年の話ですけれども、2学期以降、地理総合で林業をぜひ取り上げたいということで、この方は大変熱心な方なので、四国の先生なんですけれども、九州まで取材に行って、授業をしたとおっしゃってました。そう考えると、今、せっかく地理総合という教科がグローバルとローカルをつなぐといういい視点を持って、普通高校も含めて必修化はしてるんですが、ただ今の教科書を見て、深い学びができるかというと、かならずしもそうではない。ましてや、さっき上垣さんがおっしゃったように、自分の生き方に引きつけて、自分も林業をやってみようなんて気持ちにはなかなかならないんじゃないかなと思うんです。でも考えてみれば、三浦しをんさんの小説が原作の『WOOD JOB!』という映画を観たりしている生徒もいるかもしれないわけで、そういう見方をするにはこの「テーマで探究」のような、もっと林業というものを広くみる視点、自分たちの暮らしに引きつけてみる視点というものが必要になっているんじゃないかなと、改めて確信を持っております。
そもそも農文協がなぜこのシリーズを、という話に戻りますと、農文協は一応、農山漁村文化協会という正式名称なんですけれども、いつも「農業のことはやっているけど、林業や水産業の本はぜんぜん出してないじゃないか」というふうにお叱りを受けております。その林業についても、もっぱら農文協がこれまでやってきたことは、農家・林家ですね、農林複合という視点で、農家にとって山ってどうしたらいいかということをずっと追求してきました。その中でもさっき上垣さんからご紹介いただいた我々の大先輩、残念ながら2022年1月に亡くなってしまいましたが、甲斐良治さんという名物編集者がいて、その方が10年以上、小さな林業というか、自伐型林業に注目してきました。このスライドの『季刊地域』の表紙は最近の特集ですけれども、「小さい林業が止まらない」ということで、Iターンの人やいろんな人が小さな稼ぎを生み出しながら、荒れた山を荒れたままにしないということで動き出している。そういう動きを事例からとらえています。
『季刊地域』のバックナンバーをだんだん遡っているんですけれども、C材を建材にしたり丸太を七輪にしたりとかですね、スギ林でキノコの林床栽培をしたりとか、先ほどの齋藤先生のお話にあったような暮らしに山を活かすいろんな動きが出ておりまして、こういった動きを『季刊地域』では、農家とか地域づくりのためにプラスになる動きにしたいということで取り上げてきました。
もうちょっとスパンを広げて考えるとですね、里山、あるいは草地とか、そういうところをどういうふうに考えていったらいいかということにもつながっていく。これはますます齋藤先生のご研究ともつながってくるんですけれども、考えてみれば明治の初期は草地がもっと多かったとかですね、今、だいたいスキー場になったりゴルフ場になってるところというのは、実は共有地としての茅場や採草地だったりとか。そういう歴史があって、今、茅を活かそうとしているような動きも『季刊地域』では取り上げてみたりですね。あるいは薪というものをどういうふうに考えていくか。ドイツなどでは農家はエネルギーの生産者でもあるというようなとらえかたをしているようですが、農家の経営にとって、薪がどういう意味を持つのか。あるいは旧村のような単位で、例えば1500人くらいのところで、どうやってエネルギー自給率を上げていくか。そこから山との関係を見直すというような、そういう特集を組んできました。
佐藤先生を編者として、ちょうど10年前ですが、『林業新時代』という本を甲斐良治さんの編集で出しておりまして、その前から自伐型林業を雑誌では取り上げていたんですけれども、この本が1つの大きな契機となって、自分たちがやってきた農家・林家というのがさっきの佐藤先生のスライドの林業の担い手の4分割の図の中で客観的にどんな位置にあるのかですとか、これから目指すべき方向といったベクトルが定まったという気がします。ついでに言うと、今、『林業新時代』の続編を佐藤先生を中心におまとめいただいているところです。
農文協では実用的な本としては、『小さな林業で稼ぐコツ』といった本も出しておりますが、ちょっとスライドに出すのを忘れたんですが、『スギと広葉樹の混交林』 、これは東北大の清和研二先生という自然科学系の先生にまとめていただいて、全国各地の林研や財産区などで結構反響があるんですけれども、そういったものを私、編集担当しております。
今回の「テーマで探究」に話を戻せば、本当に深い問いというのはなにかと考えると、さっきの木材自給率がどうとか、生産性はどうというのは、たしかにそのとおりなんですけど、それを生徒たちが学んだところで、知識は増えたとしてたぶん生き方は変わらないんじゃないか。それは学校で学んだことが「自分事」としてリンクしていないから。そういう自分の暮らしとリンクするいろんな「フック」みたいなものが、この「テーマで探究」の本の中には満ちていまして、それを深く学ぶことで生き方が変わる。その中から1人でも2人でも林業に関わろうという生徒を生み出すことにもつながってくるんじゃないか。我々としても本当にいい仕事に関わらせていただいたなというふうに思っております。……といったことをもっと田口はいろいろ語りたかったと思うんですけども、今日は代理で報告させていただきました。ありがとうございました。
*佐藤さん
ありがとうございました。それでは対談に入りたいんですけど、その前に関根先生からコメントを、質問をいただいているので、それについて取り上げたいと思います。ほかの参加者の方も質問があれば、チャットの方に入れていただけるとありがたいです。関根先生、いらっしゃったら、コメントいただいていいですか。
*関根さん
こんばんは、聞こえますか。ありがとうございます。愛知学院大学の関根です。すみません、今、カメラが上手く接続できなくて、ちょっと映像なしで声だけで失礼します。チャット欄に記入させていただいたんですけど、先ほど、4分割の絵のところで、家族経営が担い手として15%っていう数字が出てきたんですけれども、素材生産量に占める割合としては限られているということなんですが、経営体数に占める個人経営というふうに、2020年から家族経営ではなく個人経営というふうに統計の単位が変わったんですけれども、割合が81.7%というふうになっていたので、生産規模は少ないけれども、担い手の数というかですね、割合としては結構高いなと。9割超えをしている農業・漁業よりは低いんですけれども、地域に住みながら子供が学校に通ったりですね、そうすると中山間地域で小中学校が統廃合されないとか、そういうような意味での地域コミュニティを維持していく上で、小規模な林業ってすごく、家族経営、個人経営がすごく大事なんじゃないかと思っているんですけれども、そこはいかがでしょうかということで、私も農業センサスの方はよく見るんですけど、林業センサスの方はちょっと見慣れていないので、こういう数字の読み方でいいのか、ご意見いただければと思います。よろしくお願いします。
*佐藤さん
はい、ご意見、ありがとうございます。私もセンサス、ずいぶん扱ってきたので、先生がおっしゃるように、言い方もですね、家族経営ではなく個人経営になって、とらえかたとしては、これだけ数としてはあるというか、把握されているので、地域コミュニティの維持などではすごく重要だと思います。私、その数をですね、2005年センサスのときには、すごく重く受け止めて、だいたい1万経営体くらいあったのでですね、先ほど、阿部さんが紹介いただいた10年前に書いた本のときには、生産量ではその当時、16%だったんだけれども、数としては非常に多いということで、書きました。ただセンサス自体がとらえている経営体が、農業以上に林業はものすごく減っていてですね、今、すごい勢いでその数が減っていて、私自身、センサスの林業経営体調査が非常に、200m3以上だけしかとらえられていない、かつ、調査票がうまく配られていなくなっているというところで、数字から見ると先生がおっしゃるとおりなんですけれども、それをあまり強調せずに今回は書いているという状況です。なので、裾野にはさらにたくさんあると思うんですけれども、それを80%あるよっていうふうに書ききれていないという、そういった、それでおっしゃるようなことは言えると思いますけれども、生産規模が大きくなっている、これでいいのかっていうところには使っているんですけれども、もう一つの自伐型林業もぜんぜんセンサスでとらえられてないという問題ですとか、そういった数がこれだけあるよっていうことに、小規模の方を使うのはセンサスの取り方だとか、そういうことに疑問を感じてきているので、あえて書いていないという現状であります。
*関根さん
ありがとうございます。200m3未満の経営も含めると、個人経営の割合はもっと高いかもしれないという可能性が。
*佐藤さん
そうですね、はい、そうだと思います。
*関根さん
私も秋学期から、9月から農業経済学の大学2年生以上のクラスで、この林業と漁業のテキストを使って教えますので、勉強しながら頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
*佐藤さん
上手く答えになっていたかどうかは、わからないんですけども、はい、私が強調しなくなったのは、今、言ったようなことが理由としてあります。
*関根さん
ありがとうございました。
*佐藤さん
はい、それから浦辺さんからユーカリ造林について質問がきておりますけれども、お話できたら、せっかくの機会なので、少し質問していただいていいですか。兵庫県の佐用町ですか、ユーカリ造林というのは、成長がいいということでたぶん造林として。
*上垣さん
最近、専門誌の林政ニュースで取り上げられたから、結構、各地でどうですかという問い合わせが僕らのところにも来ているところです。
*佐藤さん
そうですか。早生樹ということですよね。斎藤先生、何かご存じありませんか。
*齋藤さん
林政ニュースに出る前に、結構、一般のニュース報道でも実は出ておりまして、それはどういう側面から出たかといいますと、地元と揉めているということで、行政が音頭を取ってやろうとしたら、地域コミュニティの方ではそんなの知らんぞって、海外では色々と問題も起きているというじゃないか、みたいなことで、対立してるというようなニュースは見ました。
実際に樹芸研究所は、これまでたくさんユーカリ植えてきて、というところではあるんですけれども。
*佐藤さん
成功してますか。
*齋藤さん
まあ、いいものと悪いものと。ただ懸念されているという、よく東南アジアとかで問題を起こしているような問題は、日本の湿潤な環境では起きにくいのかなあ、くらいの、ただ本当に局所的な現象だと思うので、樹芸研究所で問題が起きていないというのは。この辺はたしかに慎重が必要で、地域とちゃんとコミュニケーションが取れていないっていうところが一番の問題なのかなというふうに思っております。
*佐藤さん
ありがとうございました。問題というのは、水をたくさん要求する、使うので、地下水が下がるとか、むしろ乾燥化を進めるということ、ユーカリ造林は、栄養分を必要として、土壌を収奪するというような、そういった批判があるんだと思います。けれども、湿潤なのでということと、兵庫県だとちょっと瀬戸内気候なので、水が足りるのかなというのは、ちょっと佐用町はどこにあるか分からないんですけど、慎重にすべきで、言われたように、地域コミュニティとどういった樹種を植えていくかというのは十分議論が必要かなと思います。
そしたら私の方で、準備していた論点というのを共有しますと、先ほどから出てますように、森林林業の問題っていうのを、より身近なものにすることと、その中からクリティカルな問いを立てるためには、ということで、空間が広いということと、それから林業を考える場合には、上垣さんの話で言うと、150年、200年、そして今、伐るんじゃなくて、次の世代に残すとか、齋藤先生の話で言うと、昔は草原だったとか、そういった歴史的な時間のつながりの中でとらえるというのがすごく重要になると思います。
そういう中で、時空間が広い、そういったものを取り扱うときに、どこから身近に考えられるかっていうことを少し議論していきたいと思うんですけども、山菜やキノコ採り、それから自然災害、それから伐採。それから近年では鹿とか熊とか猪とか、そういった野生動物との付き合い方というのもありますし、先ほど上垣さんが言われたように、自伐型林業に若い人がこれだけ何で興味を持っているのか。で、もちろん暮らしの場面というのもあると思うんですけども、災害で土壌流失とか土壌保全をする、それからエコシステム、生態系を考えた林業をやりたいっていう、そういった若い担い手の人たちの、そういう人が目指す林業というのはどういうものなのかっていうことですとか、多様性の問題がそのところに出てきますし、あとホットなトピックスとしては、森林環境税が本格的に今年度から徴収されて、それを自治体がどうやって使っていっているのかということとも関連すると思うんですけれども、上垣さんの方から何か、これにまつわる動きとして、色々な自治体の動きなどもご存じだと思うので、話していただきたいというのと、それから若い人たちが道づくりに一生懸命になる、この本でも道づくりについて書いていただいたんですけれども、そこのところの何か心持ちというか、どういう気持ちで道づくりをやっているかということも少し紹介してもらうと、議論できると思うんですけど、いかがでしょう。
*上垣さん
はい、この流れでですね、どう話そうかと思ったんですが、実はこの本番の前に、数日前に、皆で打ち合わせをしていたところでは、災害の話をしようと思っていたんですけれど、よくよく思うとですね、この本になると、僕だけ教授じゃないんですけれども、やっぱりですね、公益的なもの、社会的なものっていうのは、たしかに美しい。そして応えたい部分でもあるんですけど、そこは実際、どうなのかというこの3千人の社会的運動ととらえると、実際どうなのか、あとは道づくりになぜ、魅力を感じているのかというか、そこにとてもコストの掛かることに時間を費やしているのはなぜなんだろうということを、実際に僕が自伐型林業というところに魅力を感じたところも含めてとらえてみようと思っております。
その公益的なもので言うと、たしかに若い人が増えてきている。それは僕は今、41ですけれども、よりも20歳、あとに生まれてきた世代は、割とエコとか気候変動とか、そういったものを学んでやってきているから、大規模伐採ですごく温暖化も出すような、炭素をどんどん出して、燃やしていくような林業じゃなくて自伐型林業という環境保全型の方がいいというふうにとらえられると思います。ただ、おそらくと言うか、参入してきている人の多くは、最近は新卒の人たちもいますけれども、だいた多くは40代とかですね、50代が多いんですね。その人たちというのは、だいたいサラリーマンです。で、僕のように山を持ってはいないけれども、先代から受け継ぐようなルーツのありそうな、自分が自伐林家になれそうな人というのは、そうですね、1割いるかいないかなんです。多くは山を持っていない人たちになります。山を持っていない人たちが新しく参入して、自治体のところで山を確保したりしているんですけれども、彼ら彼女らがどういう社会に生きているかというと、長期的ビジョンとか長期的な戦略を作りましょうと会社で言われたときに、長期といっても3年くらいなんですね。3年後に自分がどうなっているか分からないような、不安定な社会に生きているという人たちですし、最近会った人は、40くらいで地域起こしに応募してきた人ですけれども、それまでに10回、転職していると。で、僕の時代でも考えられないくらいですね、転職、転職、転職と。いったい自分はどこに行くんだろうというようなところにまで来ている中で、自分たちの世代は置いといて、次の世代まで考えられるとか、40年、50年、壊れない道づくりをする、誰のための道づくりなの、いや自分たちだけじゃないですよ、壊れないことをすることによって、そこで伐りつかさない山ができてきて、そこで子供なのか分からない、もしかしたら地域の人なのかも分からないけれども、そういう人たちの働き場所になったり、そのつくられた山がそこで生きている人たちにとって、被害を及ぼさないような、守られる、壊れない山になると、いうことに、本当にやりたいことなんだと思うんです。
とっても社会的に見えて、実は自己満足かもしれない。利己的な人たちかもしれないんだけれども、初めて会社に勤めなくても、自分がこの年はたくさん伐らなくてもいい。意欲がないと言われているかもしれないけれども、今年は伐らなくても、来年より伐れるようになっていくような、この申し伝えをしていく、自分の中で申し伝えをしていくような、生き方を初めて手にした人たちが自伐型林業をしているような動きがすごくあります。なので、統計に出ていない、佐藤先生がすごく言葉を選びながら言っていましたけれども、200立方というものを出さなければならない。その人たちは、そんなノルマを与えられたくない人たちなんですね。だから100立方でもいいと。その代わりに、今年は道づくり、インフラづくりをしたいと。
そこで、自治体が補助をしてくる。補助というか、自治体もインフラ整備のために補助で整備をして、新しく林野庁ではなく、自分たちの自主財源でやっている自治体なので、そこでやってよねということに対して、木材生産をするんじゃなくて、まずは道づくりをして、壊れない道づくりにお金と時間を自分たちで掛けていくという人たちは、そこが道づくりへの魅力というものも、もちろんあるとは思うんですけれども、その道ができたあとの山とともに生きる暮らしというんですかね、そういう暮らし方を作ろうとしている人たちが大勢いると。正直言うと、自伐型林業というのは、本当にバカにされてきて、10年くらい前には、いつ潰れていくかも分からないという思いで、色んな研究者からもメディアも、メディアはそんなことないかな、あったんですけども、どうも本気の人たちがいるというところで、一緒に研究したいという声もあるんですが、やっぱり行った人たちというのは、ほとんど社会的実験でもあると思うんですよね。僕も自分が社会的実験的にもなっているかもしれないし、本当に成功になるかどうか分からない人たちが、でもやっぱりこういう魅力あるところに講師陣の生き方もあるし、きっとこのままやっていけば、何とかなるのかもしれないということを、実体験を持って、会社で勤めるよりもよっぽど感触を持っているところになるので、そういうところに期待と希望を持っているのかなという、そういうすみませんが打ち合わせではないことを言っているというところなのですが、おそらくその、この本当のエコシステムってなに、の中でちょっと特異な存在かもしれないんですけれども、でもそういう社会運動が林業の中で起きているということかなというところで。
*佐藤さん
ありがとうございます。時間のつながりという点では、私もいろんな方から、1年、2年先のことだけじゃなくて、10年、次の世代まで考えてやる産業があったんだということの驚きをよく聞くのと、それから、山で間伐すると、自分がやったことが見える、光が差してくるという、その達成感も同時に感じている人たちがすごく多いと思います。そういう意味では空間をデザインしつつ、時間を次の世代にどういうものをつくって残せるかというのを考え得る、そこにロマンを感じている人がすごく多いなあという気がします。斎藤さんはいかがでしょうか。時間感覚とか、それを若い人たちに。
*齋藤さん
はい、今の時間というところに直結するか分からないんですけれども、今の上垣さんのお話を受けてというか、すごく感銘を受けてというか、そんな気がしました。というのも、冒頭で私、山菜取りとかキノコ採りの研究をしてきましたよっていうふうに言ったんですけども、これもかなり何て言うんでしょう、バカにされてきた部分で、しかも林学とか林業の世界では、山菜とかキノコとか特用林産物っていうような言い方をするんですよ。そういうふうな枠を当てはめたときに、何か是としてあるのが、今は生産性とか、どんだけ稼ぐのかみたいな話があるんですけども、僕はその対極を行って、自給的なもの、売らない山菜取りとかキノコ採りの意味って何だろうみたいなことを考えてきたところがあります。本当に金にならないようなこと。でもそこにはやっぱり生産力、生産性、社会のためというようなところとは違う意義があるなと。例えばそれが、言ってしまえば人生みたいなことで、どう豊かに生きるかみたいなことを山との付き合いで実現するっていうか、1つのルートが山菜採りとかキノコ採り。それで人ともつながるし、自分の、ここに暮らしていて幸せだという気持ちにつながっているし、そういったところはすごく今の自伐林業の方々の、何て言うか、やりたいこと、生産性ではない何か、収益も必要なんだけど、収益だけではない何か、何は何か欲しいもの、欲しいことか、というところと相通ずるなと思いました。
で、それから、小さい林業というのを今日も聞いてみて、つくづく思ったのが、言い換えれば、丁寧な林業っていう言い方もできるのかなあと思いましたが、そんな感じでいいですかね、とらえかた。で、丁寧な林業ということは、たぶん手間も時間も掛ける、効率重視じゃないやり方だと思うんですけれども、それで見方を変えれば、コストじゃないですか。そのコストを何で掛けるのっていう問いがすごく何か大事かなというふうに思いました。今、おそらくその生きる意味とか、山里で暮らす意義、そういった中に、もしかしたら何世代先ということを考えて、行動することの、何かを、これ、言語化するのが難しいかもしれないんですけども、何かとらえられていることがありましたら、教えていただけるとありがたいなというふうに思っています。社会的にこうだからとかという答えじゃないような気もしていて、さっき上垣さんがおっしゃっていたような、もし何かとらえているようなことがありましたら教えてください。
*上垣さん
僕でいいんですかね。僕が事例を言って、佐藤さんに解釈してもらいましょうか。
*佐藤さん
できるかな、はい。
*上垣さん
最近ですね、林業事業体、すなわち森林組合とか、林野庁からすると担い手にしているところから、こういう林業は嫌だよなと言って、自伐型に転換している人がいるんです。その人が、山に入ると、その人たちは講師が必ずいるので、講師に習うわけなんですよ。15年、16年勤めた森林組合を辞めて、自伐型林業をやり始める。年間の計画を立てたときには、ぜんぜん上垣さん、300立方なんか余裕ですよと言うんですよね。で、年度末くらいになってちょっと行ってみると、年末ちょっと前に行ってみると、ぜんぜん出ないねと。なぜかと言うと、余計になるものから伐っていくので、細いし、量にならないということになるんですよね、手間が掛かるし。で一方で、この横にあるものは、それを1本出すと、3本4本くらいなものになるので、めちゃくちゃ出したい。利益出る、売上にもなる。でも、これを残しといたら、もっと何十年行くのというくらい、というものというのは分かるんです、やっぱりそれくらい入っていると。で、伐ろうと思ったときに、これ伐ったら怒られるだろうなっていうのと、これを残しといたら、次に入る人、それは他人でもいいと言うんですよ。次に入る人が、これ、よく残しといたなあって言われるだろうなって思って、残しといたんだって言うんですよね。
これはだぶん僕なんかは感動だったです。そんなことして考えるかなって。本当にそれは補助対象でもないんですよ。そこで伐れば、自分の日当も2万円、3万円あがる話なのに、それを残しておくと。これはだから、言語化できないかもしれないけれども、普通の下界で、都市部でできるような仕事の中では表せないたぶん仕事の仕方なんだと思うんですよね。そこにたぶん一次産業全体でそういったものというのはあるはずで、農業の場合はたしかに数年、1年のものが多いかもしれないけれども、土の使い方とか、そういったところでも、積み重ねて、表土の作り方もあるでしょうし、漁業の方でももっと広い視野というか、エサをどうするとかというよりも、漁場をどう豊かにするかっていう話になってくると思うんですよね。そこのプランクトンどうこうっていうのと、あとは土砂をどう止めていくかとか、養分をどう培っていくのかっていう視点でやっていくっていう、ここは農林漁業という視点にもなってくると思うんですが、そこでの共通言語っていうのを、たぶんぜんせん足りないと思うし、僕自身も農業から入っているので、そういった有機農業とかって話から考えるところが多いんですが、やっぱりそういった山に入って、その人はもう、1日100本くらい伐って、倒した木の海って言っていましたけれども、海の上をもう早く帰りたいと言ってやってきた世界から今、ガソリンばっかり臭いを嗅いでいたと言っていましたけれども、そういったところから今、木の臭いを嗅ぐようになってきたという、そういう動きなんですよね。
だからそういうのって、たぶん大事にしなければいけないもの、感覚だし、たぶんそこに魅力を感じているので、何かニンジンをぶら下げられるよりも、何か自分の体感するものにこそ、魅力があり、そこに人が集っているのかな。でもそう言いながら、そこに気づいている人たちも実際、いないんですよ。いないというか、言語化できない人、プレイヤーほど言語化できないので、そういったところを、おそらく研究者だったりメディアの人だったり、が伝えていく役割もあって、ああそうそう、僕が、私が言いたかったのはそういうことなんだよね、ということを言語化してくれていくと、本当の転換というか、ものになっていくのかな、ということを思いました。
*佐藤さん
ありがとうございます。それをさらに裏付けるようなっていうか、そういった言葉が見つからないんですけども。
*上垣さん
たぶん佐藤先生が第1世代の、じゃあ自伐の第3の波というように言って自伐型林業の波と言って、とらえられているんですけれども、おそらく第1の波、第2の波とかというところには、そういう動きがあったはずなんですよね。
*佐藤さん
はい、ありましたね。
*上垣さん
そこらへんのつなぎが、一旦、切れたけれども、今、つながるという。
*佐藤さん
それと、今、上垣さんが言った、自分たち40代と20代とは違うっていうところも少ししっかり見ないと、世代的な問題として見ないといけないなということを思っています。40代で入ってくる人って今、本当に多いんですよね。今まで色んな転職をして、ようやく見つけた。林業がこんなに楽しかったんだという40代の人たちがたくさんいて、しかもその転機になるのが結構災害なんですよね。地域で災害が起こって、改めて林業というのが大事だって分かったということで、林業に入ってきている。ただその人たちは、昔ながらの林業じゃなくって、やっぱり新しい意味付けとか、それから林業プラスアルファの部分で農山村で暮らしを立てるという、半林半X的な、それは第1世代、第2世代とぜんぜん違う何か、林業の魅力づくりにつながっているととらえてます。そこをきちんと位置付けられる政策がないと、農山村維持っていう地域政策として、農林業を位置づけるということにもならないんじゃないか。ちょっとその程度までしか言えないけど、宿題をもらったということで、はい。
あとですね、もう一つ、災害が出たので、災害と自伐型林業のつながり、あるいは災いと同時に、自然災害というのも恵みの1つなんだよという、そういったとらえ方もある。そのいわゆる災いだけでない、エコシステムの中で攪乱ということが1つ、大きく生態系を多様にするっていう、きっかけにもなるのでね、そこらへんの話を、そうですね、上垣さん、齋藤さんの順番でしてもらったらいいかなと思いますが、いかがでしょう。
*上垣さん
災害自体は、どちらかというと、災害に弱い山をつくっているという点で、自伐型林業の運動としては、かなり批判している、特にどこでも未曽有の豪雨で、それに耐えられなくなって山から崩れたという視点なのに対して、自伐協も結構なお金を積んで、3年間で1億2千万円ですけれども、積んで、林業と災害というものの関連性を証明し、佐藤先生に紹介していただいた行政文書に載るというところまでできましたけれども、やっぱり道に起因する、おっきな道ですけれども、そういう道に起因する土砂災害を起こしていると。
あとは強度を丸裸にするような形での、地下水を溜めない、そしてそのすぐに、雨が来てしまうような山づくりをすることが災害を生み出しているという点で、様々な批判というか、それよりも災害を防ぐような林業が自伐型林業であるということでやって、たしかに今は、消防士さんを辞めて、自治体を説得しているような動きですとか、そういったところで災害からの観点というのは、ここ数年、非常に増えてきているというというようなところではあります。
災害で恵みをもらうというところは、一部、そういったものもあるんですけれども、それ以上にやっぱり酷い現場が多いので、そこを恵みというというのは、ちょっとこう難しいのと、あとは安易にというか、最近で米原でもありましたけれども、すべての土砂崩壊を鹿の食害だということでまとめることに対して、どういうまとめ方なのかなというのをすごく疑問に思うというか、そこには山に入っている者というのは鹿以上に人間の林業というのが入ってますし、大型林業がそこに入ってきているので、そこから崩壊しているものもすごく多いので、そこは少なくともそこは触れないと、さらにそこで造林が行われたり、酷い林業が行われたり、というのは、とても不安というか、懸念があるので嫌だなあという気分ですね。
*佐藤さん
ありがとうございます。齋藤さん、お願いします。
*齋藤さん
はい、そうですね。まさに災害列島って言われるように、日本列島ってもともと、特に森林は災害を受けやすい条件にあるのかなと思います。やはり産地が切り立っていますよね。で海の中にポツンと並んでいる島国、でモンスーンの影響を受けて水蒸気が運ばれてくるので、非常に降雨量が多い。だから日本の山って、険しく谷が切り込んでたりするっていうのは、それはそういうのが常に襲ってきたというのを地誌的に証明されているということだと思うんですよね。で、最近では、林業は大きな機械を使ったことによってとか、道を無残につけたことによってっていう、半ば人災みたいのが、さらにそこに乗っかってきている。だから、こういうモンスーンの中で、急峻なモンスーン地帯の中で、考えるべき林業の仕方というのは、もうちょっと考えなければいけない。さらに酷くする所与の条件がなかなか厳しいのに、そこを酷くするような側面があるのかなあというふうに思っています。
ただ所与の条件としての、災害の起きやすさというのは、一方では、僕の研究してきた分野からすると、つまり、山菜採りやキノコ採りをする人たちを見てると、やはりそれが切り離せない恵みの裏の側面、例えば台風が来ると、来週、来そうですけれども、秋に台風が来ると、木が折れるんですね、倒れるんですね。傷つくんですよ。で、秋って、キノコの胞子が飛んでいます。そんなのが付いて、よしよし2、3年後にはマイタケが出るぞとかね、ナラタケたくさん出るぞとか、そういうようなことになってて、本当に村の人たちも結構、認識しているんですよね。だから災いと恵みというのは背中合わせ。あとよく聞いたのが、土がよく崩れるところはウドがよく出るみたいなことですよね。だから特に山菜そうなんですけども、森が壊れるというような働きがあるところで、たくさん山菜が採れるんですよね。で、森を壊す働きというのは、なだれがあったり、大水があったり、台風があったりとかということだったり、一番大きいのは実は人間です。人間が山を切り払ったり火をつけたりとか、そういうのがあって、山菜の恵みが豊かだった。そういうようなところを見ていると、やっぱり日本の風土が持つ災い、所与の災いの側面というのは恵みにもなってきているし、そういう恵にかえる日本人の力というものをもう少し評価してみてもいいのかなあというふうに思っています。
*佐藤さん
ありがとうございました。時間が来たので、森林環境税までちょっと話が行けなかったんですけれども、今日ご参加の方で、自分の自治体でどういう政策が行われているかっていうことを知るには、今、森林環境譲与税っていうのがですね、自治体が全部、ホームページで明らかにしないといけないということになっているので、ぜひそれを見ていただきたいと思います。その中に、地域によっては小さな林業を応援したり、それから災害復興のために、道のメンテナンスをしたりという、そういった自治体も出てきている一方で、森林環境税と言いつつですね、林業振興だけに使うという、そういうところもあります。そういったところで、身近な政策がどうなっているかと言うのを知りつつ、今日の話で、災害が起きやすい国土の中で、それを恵みにかえてきた日本人の知恵というのがあるんですけれども、そういった知恵が伝承しないような形で、今、大規模な伐採が進んでいて、危険性もはらんでいます。そういったことを知ることで、今の林業のあり方に関して、クリティカルな考え方ができるんじゃないかと、強引に最後、まとめさせていただきますけれども、そうしたことが言えるんじゃないかと思います。
あと浦辺さんの方から、メッセージの方で、ユーカリについて、さらに質問をいただいているんですけれども、日本の山をすべてユーカリにすると、非常に私はまずいと思います。やっぱり1つの樹種だけに偏ってしまうというのは、モノカルチャーになってしまって、多様性がなくなりますし、それとですね、やっぱり日本だけじゃないんですけれども、やはり森林を考えていく上では、土壌保全を、土壌をいかに豊かに保っておくかという、ここが大事なことなので、ユーカリを植えても、土壌が収奪されないようなところで植えるんだったらいいかもしれないんですけれども、そういうところばっかりではないので、やはり地形とか地質とか見ながら、細かに考えていった方がいいんじゃないかなというふうに思います。また議論でたらと思います。
では、拙い進行でしたが、今日の講座を終わりたいと思います。ご参加ありがとうございました。