FFPJ第34回講座「農地を守るとはどういうことか? 欧州ドイツ語圏諸国、中国と日本の取り組みを比較する」が2024年10月18日に開催されました。講師は楜澤能生さん(早稲田大学法学部教授)です。講座では、「土地の商品化」について世界史を遡って解説するところからはじまり、日本の戦後農地改革、農地法の耕作者主義、食料・農業・農村基本法と農地関連法の改正まで、ヨーロッパ諸国との比較も交えながら取り上げられました。以下は、楜澤さんの報告の概要になります。(末尾にある動画もご覧ください)
はじめに
皆さん、こんばんは。ご紹介いただきました楜澤です。
今日はFFPJの講座にお招きいただきまして、大変ありがとうございます。光栄に存じます。今、池上先生から私の専門は、農業法というご紹介をいただきました。たしかに農業法もやっているのですが、私の専門は法社会学という学問領域です。目下取り組んでいる課題は「持続可能社会への転換と法・法律学」です。産業社会から持続可能社会への大転換は、21世紀社会の最重要課題ではないかと考えておりまして、この課題に法律学はいかなる寄与ができるのか、というようなことを中心に研究を続けているところです。
実は日本の農地制度が、この転換にとって示唆的な意味を持つんだという位置づけをしながら、私の目下の課題と、それから農業法学を自分の中で結びつけているということです。それはどういうことかということについては、またあとでお話をさせていただきます。今日は主として、戦後農地法制の体系を構成している耕作者主義と、農地の集団的自主管理のうち、今日は耕作者主義に絞ってお話をします。それが産業社会から持続可能社会への大転換にどのような展望をもたらしてくれるのか、ということがテーマです。
土地の商品化
まず土地の売買について考えてみましょう。実際土地は今日売買されているわけですが、土地の商品化ということに遡って考えてみたいと思います。どんな物が初めに商品となったのかを考えてみますと、最初に商品となったのは人間の労働を通じて生産されたもの、人間の労働生産物です。人間の労働を通じた生産物ですので、これを複数作ることができる。代替可能物の再生産ということになりますね。それを商品として交換することが始まった。
ところが歴史が下ってまいりますと、人間の労働を通じた生産物以外のものが商品として交換されるようになる。それが土地ですね。土地は、人間が労働して新たに生産できるようなものじゃありません。地球の一表面で、唯一無二のもので、人間が作ったりなくしたりするようなことはできない、そういう特殊なものなのですが、それにもかかわらず商品化される、ということですね。その次に商品化されたのが労働力ということになります。物が商品となるということは、物に対する私的所有権が確立していることを意味し、当該社会が市場的な関係として編成されるということを意味します。そして土地も私的所有権の対象となるという、こういう歴史的な経過をどの社会も辿ることになります。
歴史的画期としての「土地商品化社会」
しかし、土地が商品化されるのは、それぞれの社会によって、その時期が違います。土地そのものが商品化されるようになる歴史段階は、もはや封建制ではないということになりますね。封建制の下では領主的な領土支配があって、土地と農民を領主が支配をして、その移動の禁止、農奴にしても土地にしても移動が禁止されているわけです。しかし、それが商品として移動が自由になるという社会は、もはや封建制ではない。他方、なお労働力が商品化されていない歴史段階があって、もう封建制ではない、しかしまだ資本主義ではない、という独自の経済的社会構成を持つ歴史社会が存在したことが指摘されています。これは水林彪さんという日本法制史家ですけれども、世界の法制史にも通じた方で、今まで封建制から資本主義へ、そして社会主義へという世界史的な発展法則で世界の歴史が語られていたのに対して、その封建制から資本制へと変わるその間に、独自の性格を持った歴史的な画期として位置づけられる社会がある、それが「土地商品化社会」だと、こういう議論をされるわけです。
先ほど言いましたように、それぞれの社会によって土地が商品化される時期というのが違っている。中国では、ものすごく早い段階で土地が商品化されたと言われています。もう秦漢帝国の時代、この時代では共同体が解体され、国制が封建制から郡県制へと移行すると言われていますね。土地も商品化されて、売買の対象になるわけです。国家はこれに対してどう対応したかというと、土地の過大所有、土地の兼併を禁止して、小農を保護し、農民層分解を防ぐために、土地の自由取引を禁ずる政策を展開してきた。必ずしもそれが効果を上げたというわけではありませんけれど。
これに対してヨーロッパにおきましては、土地の商品化が始まったのはずっと遅れます。15世紀あたりだと言われていますね。この土地の商品化が起こったときに、社会は、土地の商品化傾向に対抗するわけです。土地を売っても、1年と1日のあいだであれば、売買代金を返済すれば、その土地を取り戻すことができるという慣習法、「親族による不動産取り戻し」という慣習法があって、これを成文化して、社会の土地の商品化に対抗しようとする。
しかし社会それ自体の中に、土地の商品化傾向がどんどん進行していく。そうなってきますと、「親族による土地取戻法」を否定して、正面から土地の商品化を受け入れるようになってきます。しかし、それを受け入れつつも、正義の理念に反する野放図な土地集積を否定する契約法理論が市民法体系の中で形成されてくる。フランス民法典、Code civilというのは、もともとはこの土地の取引契約法として発展してきたと言われているわけです。それでは日本ではどうだったでしょう?
日本における近代的土地所有権制度の導入と地主制の確立
日本ではどうだったのかを振り返ってみますと、日本ではご存じのように明治になって、地租改正という土地・租税政策が展開されました。これは明治政府が安定的な近代財政を確保するために、納税者を確定しなければいけない。当時は税金を取ると言っても土地からしか取れませんでしたから。したがって、土地所有権者が誰であるかを確定し、納税者を確定することが必要だった。同時にその地租改正に伴って、それまで田畑永代売買の禁ということで、田畑の売買をずっと禁止してきたのを、いきなり四民平等、四民というのは士農工商、誰でも平等に、農家のみならず誰でも田畑を購入できると、いきなり自由化したわけです。日本では土地が社会の中で売買の対象となる、つまり社会それ自体が土地を商品化していくというプロセスを経ずに、黒船の外圧によっていきなり、売買自由とされ、これを社会や国家が契約法を作って規制する歴史、つまり土地商品化社会ですね、これを持つ暇もなく、土地を商品化し、売買を自由化した。
明治14年の政変で大蔵卿となった松方正義によるデフレ政策で、米価が暴落する。しかも凶作が続くといった中で、地租を払えない農民が続出する。地租を払えないと明治国家は土地を競売処分に付すことを強行しましたので、借金をしてでも地租を払おうと、金貸しから借金をする。しかし、それを返すことができない。どうなったかというと、担保に供した農地を金貸しに取られてしまう。所有権者は金貸しになる、ところが新しい所有権者となった金貸しは、その農家を追い出すことなく、多くの場合、そのまま旧所有権者である農民に耕作させる。しかし、その代わりに経済外的な強制を用いて極めて高率の、全収穫物の5割を超えるような小作料を収取する関係(寄生地主制)が成立する。小作人の労働生産物の領有を確保する地主的土地所有権がここに成立するということになるわけです。市民法原理に基づく土地取引規制の不在の下での土地売買の自由化、これがこのような地主制を生んだということです。
日本資本主義の発達と小作争議
しかし、大正期に入りまして、とりわけ第一次世界大戦を経て、日本資本主義が高度に発達し独占段階に入り、都市が形成されて、都市に重化学工業労働者が集住するようになってきますと、広範な農産物市場が形成されます。農産物市場を前にして、とりわけ都市近郊農村であるとか、農業先進地域を中心に小作経営が一定の前進を図ることのできる条件が、日本資本主義の発達とともに作られていく。
そこで小作人が農業収益を獲得する意欲を持つようになる。それを阻害したのが相変わらず高率の地主による小作料の収取でした。そこで我慢のならなかった小作農たちはですね、いわゆる小作争議を展開するようになるわけです、永久減免ということを掲げて、生産者群と寄生者群、小作階級と地主階級の階級闘争の様相を持つような展開を見せる。資本や国家は、これを日本資本主義の危機として、座視することはできない社会問題として、認識するようになります。
そこで国家権力の中枢で、地主制の根幹に触れるような小作法案、地主制改革が議論されるようになる。つまりここにおいては、農地に対する所有権を他の商品に対する所有権一般から区別して構成しようとする、農地法制度の出発点が観察されるわけです。農務官僚たちは、小作争議は何で起こるのか、これはやはり土地所有者、地主の土地所有権がきわめて強く保護されているからだ。これに対して耕作権としての小作権が著しく弱い。これでは小作経営が不安定化し、農業生産は発展しない。こういうことをようやく認識するようになるわけです。
ところがこの農地法制度の立案は地主勢力によって潰されることになり、以降、戦後の農地改革まで、地主制が存続する。これが戦前の歴史です。ここで申し上げたいのは、やはり先ほども言いましたように、農地をですね、他の商品と同様に、自由な取引の対象とすると、安定的な耕作が確保できなくなる、ということにようやく為政者も気づき、農地に対する特別法の必要を感じた。これは1920年代です。そこから現在まで100年経っているわけです。つまり我々は農地制度の必要を感じた先達以来、100年の経験を積み重ねてきた、農地法制は、そういう歴史を持つということになりますね。
戦後農地改革
そうして戦後の農地改革が遂行されるということで、農地改革を振り返ってみます。不在地主の全貸付地と在村地主の貸付地で保有限度、北海道4ヘクタール、都府県平均1ヘクタール、これを在村地主は小作地として残してよろしいと。それを超える部分のすべてを国が強制買収し、小作農に売り渡すということを通じて、多くの小作農が自作農に転換される。つまり他人の所有権の下で、耕作していた小作農が自分の土地所有権の下に農業生産が出来るようになった。こういう大転換が農地改革で実現されることになりました。
耕す者に農地をー農地改革による農民的土地所有の確立
これによって他人の労働の成果の領有を保証していた古い地主的所有権が廃棄され、耕す者にその果実を帰属させる新しい農村経済秩序、農民的土地所有権が確立される大転換が行われた。この転換された新しい秩序を維持するために、つまり旧地主制に逆戻りさせないために、1952年に農地法という法律が作られて、これが戦後農地制度の根幹に据えられることになります。そしてこの農地法、その後ずいぶん改正されましたが、まだこれを我々は手にしているということになります。
1952年農地法
この法律の目的ですけれども、農地はその耕作者自らが所有することを最も適当であると認めて云々と、第1条の目的に書いてある。これを自作農主義というふうに言っております。そして農地の権利移動制限を掛けています。これはせっかくやった大改革である農地改革ですが、これを放っておきますと、地主が小作人に向かって、おいお前、お前のお父さんお爺さんたちの面倒をずっと見てきたんだ、そのことを覚えているだろうと。だからお前の土地を私に返しなさいと言われれば、新しく自作農になった小作農は返さざるを得ない。それほどの力を実は地主は持っていたわけですね。それをそうさせないために、農地の権利移動、売り買いですとか貸し借り、これをすべて国家的な規制の下に置く、一筆統制の下に置く。こういう法律を作って、旧に戻さないということだったわけです。
この当時、まだ手作業の農作業でした。ですから、家族の構成員で機械もなく、手作業で経営できる規模というのは、せいぜい3ヘクタールが限度であると。3ヘクタールを超えると、家族構成員だけでは経営できない。青天井ですとね、他人を雇って経営する者が出てくるんじゃないか。こういう心配もあり、当時、都府県平均3ヘクタール、それから北海道12ヘクタール、これを経営規模の上限としました。それ以上、農地を借りることも買うこともできないようにしたのです。
ところが1960年以降、機械化を導入し、経営規模の拡大政策を農水省は推進するようになります。1961年の農業基本法、旧基本法ですね、これに基づいて、政府は、基本農政という農政を展開して、農業経営規模の拡大政策を取るようになります。非常に重要な政策だと位置づけました。と言いますのも、農地改革当時は、平均経営規模1ヘクタール、零細錯圃と言われた日本の農業は、生産力的にいうと、非常に大きな限界があった。これを規模拡大していくことが、最大の農地政策上の内容でした。そこで当初、農水省は農地の売買を通じて経営規模の拡大をする方針でしたが、農民は農地は売らないということが良く分かってくる。いくつかの原因がありますが、一番大きいのは、60年代後半から70年代に掛けて、農地の価格が高騰したことです。そんな高い値段で買ったって、50年間、農作業を継続しないと元が取れない。そんな地価水準だと、農地を買って規模拡大をするというような農家は出てこない。そこで農水省は方向転換をし、貸し借りを通じた規模拡大へと政策の根幹を変えていきます。
ところが52年農地法は賃借人、残存小作地の小作人の権利を非常に強く保護した。そうすると、一度貸したら、二度と自分の元に返ってこないと、農地の貸主にそう思わせるような極めて強い賃借権の保護をやっていた。こうなると農地は動きません。そこで1970年、農地法を改正し、賃借権の保護レベルを下げました。そして貸し手の貸そうというインセンティブを作る。そういう改正をしたわけです。
そうなってきますと、これまた農地をたくさん借りて、そして、自分は羽織袴の左うちわで座敷に鎮座、これを羽織百姓と当時言ったようです。そういう農家の出現が心配される。そこで70年農地法改正で、農作業常時従事義務という、新しい義務を課すことにした。ここにおいて、農地の貸し借り、それから売り買いの許可要件はどのようになったかと言いますと、取得農地のすべてにわたって耕作し、農作業に常時従事をする者でないと、農地は取得できない。これを耕作者主義と言います。つまり自分で資本を出資し、経営責任を負い、農作業に常時従事する者だけが土地の権利主体になりうる。農作業に常時従事するということは、取得した農地の近傍に居所を構える、こういうことを意味します。ここでは三位一体、つまり資本投下し、経営上の意思決定をして、経営責任を負う者、農作業に従事する者が、農地の権利主体である。この3者が三位一体の形を取る。これが耕作者主義と言われているものの中身であります。
日本農地法制の目的と法原理―耕作者主義
この農作業常時従事要件が、さらに含意しているものがあります。これについて、70年改正に従事した農林官僚であった関谷俊作さん、このかたは、農地改革に従事した東畑四郎という著名な農林官僚がいますが、このお弟子さんですね。この関谷俊作さんが面白いことを書いています。農作業の常時従事要件というのは、農地の権利取得者の全人的生活スタイルにかかわる要件だと。何のことって思われるでしょう。
農作業常時従事要件を充足することは、先ほども言いましたように、農地の近傍に居を構えて、そこに定住する、いうことにほかなりません。つまり、生産に従事する場が同時に定住、生活の場であるという、生産と生活の一体性ということがそこに含まれている。そしてその生活スタイルは何を意味するかというと、農村へ行って農家に話を伺うと、来年から水利組合の組合長をやらなきゃいけなくなったよとか、生産森林組合の組合長をやらなきゃいけないとか、そういう話を聞いたりします。つまり、農地の権利主体というのは、水資源、里山、それから山林、その他の自然資源や、あるいはお祭りなど、文化資源の共同的な維持管理にも従事する人なんだと。つまり地域社会の担い手です。そういう意味で農作業常時従事要件、これはそういうことまで含意している、というのが関谷俊作さんの説明です。非常に面白いと思いました。
つまり、そこに住む人間と農地との関係は、農地は当然生産手段ですけれども、生産手段とその所有者という関係だけではない、人間と自然の総体的な関係性を確保する重要な機能を、この農作業常時従事要件が持っていると、こういうことです。したがって、経営、労働、所有の分離を組織原理とする株式会社は農地を取得することができない、いうことになるわけです。地力を収奪し、短期的な利益を上げたあと、さっと資本を引き揚げる企業から農地を守る機能も持っているということも言えると思います。
有機農業
今日、有機農業ということが非常に注目されている。農水省自体が「みどり戦略」を言い出しました。有機農業を目指していくという事柄と、耕作者主義とはやはり関係があるというふうに私は思っています。
それはどういうことかと言いますと、中島紀一先生が、『有機農業の技術とは何か』という本を農文協から出されました。有機農業にも色々な考え方があると思いますが、自然農法と言うんですかね、それに近い考え方を中島先生は取っておられると思います。有機農業は、低投入、内部循環の促進ということで、外からの投入をなるべく控えて、土地、土自身の内部循環の豊富で活発な展開を促進していく、農業における土の本源性を引き出す技術が有機農業技術であると。それには時間が掛かるというわけです。土、それから野菜等の作物、家畜、そして人間、労働ですね。この関係を自然共生的に組み立てる技術というのは、そんな簡単なものではなく、技術を駆使する労働のあり方、これは経営者に指令されて、この作業をやっておきなさい、という性格の労働ではない。つまり、自分のこれまで蓄積した知恵だとか、判断力だとか、そういったものを全部働かせて、この内部循環を促進していかなければいけない。つまり、土地と作物、家畜の自然性を高め、それぞれの主体性を引き出し、生態的に関連させ、循環させていく、まあ何て言いますかね、人としての本能的能力、あるいは豊かな感性というものを持ってないとできない仕事。逆に言うと、そういった感性を取り戻すような労働であるということになります。
したがって、例えば農業会社に農業労働者として雇われて、そこで賃金と引き換えに指令された農作業に単純に従事するのとは、本質的に異なる労働ということになります。そういう労働は、やはり経営判断の主体でなければいけない、と同時に自分自身が労働しなければいけないということで、耕作者主義の世界と非常に近い世界ではないかと私自身は考えているわけです。
耕作者主義の再定位―持続可能社会への転換と耕作者主義
食料・農業・農村基本法は、農業の多面的機能と、農業の自然循環機能の維持増進と、それによる持続的農業の発展、それから農村振興ですね。こういったことを理念として謳っております。
この農業の多面的機能の持続的な維持、それから農業の自然循環機能の維持増進、これは今申し上げた有機農業に非常に近いことを言っているのです。これを実行できる担い手というのは、やはり地域に定住し、経営と農作業常時従事の一体性を充足する農業者を置いてほかにない。私は、食料・農業・農村基本法の下で、農地法は、再定位されている。基本法は、その法分野の一番上位にある、その法分野における、言わば憲法でもあるとも言われている。ですから、その下に体系化される農地法も、基本法の下に、改めて定位されなければならない、というのが私の解釈であります。
耕作者主義の普遍性
農地法の目的は何であったか。これは先ほど説明しました。52年の農地法は農地改革の成果を保持し、地主制への回帰を阻止する。これを直接の目的としていました。経済界では、こういうふうに言われる方がいるんです。現代日本社会に、戦前の地主制へと回帰するような危機があるんですか。そんな危険はもうないでしょう、とすれば、農地法はとっくにその歴史的な使命を果たし終えたでしょう。こんなものがまだ残っているのはアナクロニズムにほかならない。人、物、サービスの自由な移動を特徴とする自由主義国において、農地の取引規制なんてやっているのは、近代化の遅れという、特殊な歴史的事情を持つ日本だけだ。農地法を早く撤廃しましょう。
非常に分かりやすいですね。でも非常に分かりやすいテーゼというのは、どこか眉唾なものがあります。まず端的に言って、事実誤認があります。農地を商品一般から区別し、自由な取引に制約を課す、これは、100年の経験の積み重ねの中で、作られてきた制度ですが、そういった法制を持つ国は日本だけではありません。欧州に目を転じると、スイスは農民土地法、ドイツ並びにオーストリア各州は、農林地取引法Grundstückverkehrsgesetz、を持ち、そこでは日本の耕作主義と同じ自作者原則が掲げられています。
比較法
スイスのBäuerliches Bodenrecht、これ名前が面白い、「農民の土地法」という名前になっています。その政策の目的は何かというと、所有権の分散です。所有権を分散させることによって、地域社会の担い手を分散的に定着させる。そして、持続可能な農業と農村社会の維持を図る。これが土地政策の目的です。
スイスやオーストリアの農地政策、農業政策の背後にあるのは、Bäuerlichkeitという概念だろうと思う。これは訳すのが難しいのですが、「農民らしさ」とでも訳しておきます。1987年にヨゼフ・リーグラーという農林大臣が、エコ社会的農業政策を展開した。このときにこの人は農民らしさ、Bäuerlichkeitという言葉を使って、この政策を説明しています。簡単に言いますと、この概念が含意する内容は、①非収奪的な持続可能な生産経営方法、②農村地域文化の担い手としての農民像、③社会的共同体的な関係性、です。農業・農村において、伝統的、持続的に維持されてきた物質代謝の経験則を確認し、これを改めて規範化する概念として理解すべきものと、私は考えています。
持続可能社会に逆行する農地政策
ところが日本の場合、とりわけ2000年以降ですね、1992年の新農政以降というふうに言った方がいいのかもしれませんが、農業の担い手像の重点がずらされてきました。農水省は、地元農業者を基本的な政策対象として位置づけてきたのですが、農外企業に日本農業を担わせるという方向に少しずつ近づいていますね。効率的な経営、加工、流通のノウハウを心得ている企業が、非効率な小規模家族農業に代わって、農業に参入し、低コストで農業生産をすることによって、消費者のニーズに応える安価な農産物を十分に提供していく。こういう体制へと転換していかなければならないという方向です。
耕作者主義の否定―許可要件の緩和
実はこういった転換を農地法上の規制が妨げている。端的に言って、耕作者主義と農地の集団的自主管理ですね。これが邪魔になっているという認識の下に、小泉内閣以降、首相のお膝元に内閣府が新たに設置され、その下に規制改革会議等の審議会が設置され、そこでの民間委員からの要求という形で、政策の方向性が非常に明確に強く打ち出され、法制化されてきたという歴史があります。
その一つに2009年の農地法改正があります。農作業に常時従事しない個人も、農業生産法人以外の一般法人も、農地を借りることができるという大きな改正がありました。これによって、耕作者主義の一角が崩れました。さすがにまだ、農地の売買、これについては農作業に常時従事する個人、それから農業生産法人、今は農地所有適格法人という名前に変わっていますが、そういう法人でしか農地を買うことができないという規制はなお残っております。これも国家戦略特別区域法の国家戦略特区、兵庫県の養父市で、この特区の中で企業の農地所有権の取得が条件付きで認められました。
耕作者主義の否定― 農業生産法人要件の規制緩和
それから、農業生産法人制度は、耕作する者が農地所有権の主体になる、という自作農主義、これは自然人、個人に適用した原理ですが、それを法人に適用するという形で制度化されたのが農業生産法人です。ですから、自作農主義、あるいは耕作者主義という原則がこの農業生産法人にも貫かれていた。しかしその要件が、次第に緩和されていくという経過をたどっています。
その緩和の一番大きな問題はですね、出資要件、つまり議決要件ですね。出資額が全資本額の半分以上を農業関係者によるものでなければならない、そうでないと、農業関係者以外の者が経営の意思決定の主導権を握ってしまう。これまでぎりぎりのところまで規制緩和して、農業者以外の出資額、つまり議決権を2分の1未満にしてきました。ところが今年の基本法改正関連で、農業経営基盤強化促進法という法律を改正し、食品事業者等の出資を2分の1以上可能とするという特例を設けることにしたのです。
改正基本法と農地関連法制改正の関係
今回の基本法改正に伴う農地3法の改正をどう見るかということですが、私は次のようなことではないかと思っています。それは1999年の食料・農業・農村基本法で、かなり重要視されていたのが、経営の法人化ということでした。法人化を進めるということが、主要な課題として提起されていたのです。しかし、今年の改正基本法は、そうやって法人化されたものを、どう維持・発展・継承させるかということに課題をずらしてきた。
今後の課題は、もうかなりの数になった法人を、どう維持・継承していくか。そのためには、法人の経営基盤を強化していかなければいけない。基本法の第27条の2項で「国は農業を営む法人の経営基盤の強化を図るため、自己資本の充実の促進」、こういう文言を入れたんですね。そうしてこの基本法に対応するように農業経営基盤強化促進法を改正し、「地域における人と農地の受け皿となる法人経営体の経営基盤強化に向け、農地所有適格法人が、出資により食品事業者等との連携措置を通じて農業経営を発展させるための計画について、農林水産大臣の認定を受けた場合に、議決権要件の特例」を措置しました。特例を設けたのは、農地所有適格法人の要望に基づく、としています。
農地の確保・適正利用に係る措置の強化とその意図
そして農地の総量確保のための措置ということで、ゾーニングに対する国の関与の強化ということ。それから農地の適正利用のための措置ということも併せて手当てをしました。どうも私の感じですと、今回の改正の一番大きな目玉は、先ほど紹介した農地所有適格法人の議決要件の特例導入であり、これがまず先にあり、それが農地制度を壊していくという懸念、多くの人たちが懸念を示していますが、この懸念を払しょくする措置の一環として、こういう対応をしておく、ということを示したのではないか。農地の総量確保のための措置ということで、農地確保を食料確保のためにやる、ということ。それから農地の権利取得、3条許可を厳格化する、取引規制を強化するといったような手当てを見せておいて、その上で、議決権要件の特例を導入させる、こういう感じかなというふうに思っております。
法の欠缺・share deal ドイツの憂鬱
他国のとの比較をしてみましょう。ドイツは、農林取引規制法で、農地の取引規制はやっているんですが、実は日本のような農業生産法人制度、農地所有適格化法人の制度を持っておりません。したがって持分、農業会社の持分の取引規制もしていないんですね。そこで、農業とは関係のない大手のグローバル保険会社が、農業会社の資本を94.5%取得して、資本参加の下で、経営を主導している。
そうなってきますと、農業の工業化がどんどん進んでいき、経営の意思決定と労働の分離ということがどんどん進行し、持続可能ではない農業経営、農地利用へと進んでいく。これは今、東ドイツの一部でそういう状況が進んでいるということです。ドイツの農業法学は、これへの対処に本当に苦慮しています。これを規制するには基本的に会社法を改正しなければならないが、農林地取引法は各州の法律ですが、会社法は連邦法だということもあり、非常に難しい。もって日本は、他山の石としなければならないところです。
持続可能社会を支える所有権の構想-個体的所有
私は持続可能な社会への転換に、農地法制がどのような示唆を与えてくれるかを考えてみたい。私は、持続可能な社会を支える所有権は、産業社会を支えている私的所有権であっては、とても転換を果たせない。やはり個体的所有、私的所有ではない個体的所有のあり方、これが持続的社会を支える所有権のあり方ではないかと考えています。
個体的所有は、直接生産者と生産手段所有者とが分離されておらず、同一の所有関係であるということ。自己の労働の諸成果がその個人に帰属する、つまり自己の対象化が自己獲得になる、そういう所有観。そして人と自然との物質代謝関係を労働の主体=所有主体が直接制御する所有形態でなければならない。この所有形態に農地所有権は当てはまる。この産業社会においても、そういう所有権のあり方がある。これに注目し、これを手本にしながら、例えば企業所有のあり方、都市の土地所有のあり方を考えていく、農地所有権は、これからの所有の在り方を考える上で重要な参照枠組みを提供する、ということを申し上げて、報告を終わらせていただきます。