家族農林漁業プラットフォーム・ジャパン(FFPJ)連続講座第25回は2023年10月14日19:30〜21:00に、「食と農の危機の下で考える本当の持続可能性—自然の力を活かした循環型農業」と題して行われ、FFPJの村上真平代表(池の平自然農園代表)が講師を務めました。10月14、15日は池の平自然農園で、FFPJの役員・事務局員の研修が行われたため、研修参加者は現地で直接参加しました。村上真平さんの講義部分の概要は以下の通りです。農場訪問のダイジェスト動画の後に、講義概要を載せています。講義全体の様子の動画は、文末に載せています。
皆さん、こんばんは。村上です。今日はFFPJの役員と、それからスタッフの皆さんに来ていただいて、午後から稲刈りをしました。今、小雨が降っているんですが、今年の稲の出来はいつものように平年並みです。皆、普通の人は5月の初めに稲を植えて、それでもうすでに1か月前くらいに終わっているんですが、僕のところは6月に入ってから植えるもんですから、1か月くらい遅れて今から稲刈りをするということです。今日は先ほど紹介にありましたように、自然の森に学ぶ農業ということで、僕自身が今、ここの農場もその学びを通して、様々な作物を作っていますし、それから僕自身が2011年にこちらに移動してきたんですが、その前に福島の飯舘村というところで農場をやっていまして、その農場も同じことをやっていました。僕は今日、自分自身がいままで僕の自己紹介も含めてですね、なぜ僕がこの農に関わって、そういう考え方をしているのかということと、その具体的な所までは多分、お話は出来ませんが、その核心の部分をぜひお話していきたいと思っています。
*自己紹介
僕の生まれは福島県です。1959年生まれですから、もう還暦を過ぎてしまいました。僕の父親はですね、1970年に有機農業に転換をしました。愛農会という小さな農業団体で、そこが有機農業に転換するという募集を出したそのときに、やはり農というものは、基本的には人間の命を支えるものです。ですが、農業は農業という生業、つまりお金を稼ぐ、お金を儲けるという中で、農業というのはお金を得るためには、農薬とか化学肥料とか様々な化学物質を入れるのは仕方がないことだと、そういうふうに考えられるようになってですね、1970年の頃というのは、かなり様々な問題が出ている頃でした、環境汚染とか様々なものですね。そういう中で、愛農会としては、人間の食というものは人間の一番のベースですから、そのためには安全な食べ物を作るのは当たり前であるという、そういう考え方に則って、多くの人たちが有機農業に転換した、その中の一人として、うちの父親も有機農業に転換しました。
僕は農家の長男です。僕ぐらいの歳ですと、農家の長男は農家を継ぐというのが当たり前という考え方の中で、僕も小さい頃から、お前は長男、総領なんだから、農家を継げっていうことを言われていました。僕もそのつもりで、それはもう、僕に与えられた運命だと思って、これでやってきたわけですが、色々なことがあってですね、僕は1982年、僕が23才です。それまでしばらく父親と一緒に農業をしていたんですが、ある事があって、インドに行くことになりました。インドに行くことになった気持ちというのは、様々なものがあるんですが、ちょうど1980年代というものは、世界は難民の時代と言われたんですね。インドシナ難民という、何十万という人たちがカンボジアとかタイのボーダーにたくさん来ているとか。それからベトナム戦争が終わって、南の人たちは、南ベトナムはアメリカに協力したということで、結局は北が勝って、社会主義の国になったわけですが、そのときに迫害を逃れてボートピープルで逃げる人たち、それが毎日のようにテレビの中で報じられていました。僕は多感な20歳になったばかりの頃でして、この世の中というものは、色々な世界があるのは当たり前ですが、ボートピープルの問題、難民の問題、そういう世界で様々な問題があるということに対して、自分はどう生きるのかということをずっと考えていてですね、まあ色々と考えても仕方ないので、ちょっと見てこようということでインドに行くことになったわけです。
*ブッダガヤとは
インドに行った場所はですね、インドのビハール州ブッダガヤというところです。敬虔ある仏教徒の人は解ると思うんですが、ブッダガヤというのは、お釈迦様が2600年前に悟りを開いて、そしてその悟りのあと、クシナがあるヴァーナーラシーというところで教えを始めたのが仏教ということになるわけですが、そのお釈迦様が悟りを開いたという場所がブッダガヤです。そのブッダガヤに僕が1982年の4月に行きました。そこになぜ行ったかというとですね、その一つに、そこの土地にガンジー、インドの独立の父、インドの父であるガンジーですね、そのガンジーさんの教え、考え方を引き継いでいる人々がガンジーアシュラムというのを作っていたんですね。インドにいっぱいあります。その中の一つはブッダガヤにあったわけです。そこはですね、農場を持っていて、それからパリジャンと言われるインドのカーストの中では最下層、カーストにも入れない、アウトカーストの人たちです。ほとんどが農奴的な生活をしているんですが、そういう人たちの子どもたちに、教育をしたりとか様々な社会活動をやっていた団体です。で、そこの団体の長が有機農業というものをぜひ考えたいということがありまして、僕は愛農会という団体のそのときの責任者に、誰か行くものはいないかということで、僕が行きますということになって行ったわけです。
ただ今から考えますと、1982年に僕がインドに行ったということが僕自身の人生を完全に変えたんです。2つの意味で変わったんです。一つは、農業というものに対する考えが全く変わりました。それからもう一つは、今、貧しい国、豊かな国、発展途上国、そういうような形で発展途上国の海外協力というような言葉になりますけれども、そういうことにそのあと20年間、関わることになってですね、日本の地を離れたところで、そのあと6年間、バングラディシュであるとかタイに5年であるとか、様々なところで、いわゆる南の気候において、自然農法、自然の森に沿った農業のあり方というのはどういうふうにあるべきなのかということを、そういう活動をするようになったわけです。そういう意味で特に、農業の活動に関わっていきましたが、貧困の問題というものに対して非常に深く関わるようになったわけです。
*木の無い山、水の無い川、そして熱風
僕は長く話すといくらでも長くなってしまうので、なるべく短くしたいと思うんですが、僕が書いた文章に関しては、FFPJの方で読めると思いますので、興味のある方は読んでいただいたらよろしいかと思います。そこにも書いてあるんですが、僕が初めてブッダガヤに行ったのが82年の4月だったんです。この4月というのはインドでは乾季というのが終わる最後の時期です。ですから一番乾燥している時期なんですね。そしてどんどん暑くなっていって、インドでは一番暑いのは7月って言われています。
その時期に僕がブッダガヤに行ったらですね、まず一番びっくりしたのは、ブッダガヤまで10キロほど離れたところに、僕らがカルカッタから来た途中に汽車が着くガヤという都市があるんです。そのガヤに降りて10キロほどの道のりをリキシャというのに乗ってずっと南に下っていくんですね。そのときに、ふと見たら田園風景です。乾季ですから何にも出来ません。本当にもう赤茶けて水も何にもない風景なんですが、少し左側を見たときに小さな小山があったんですね、その小山はぜんぜん木がなかったんです。それで僕は目が点になった。山に木がない。木がない山があるんだということですね。
僕も福島県の田舎、阿武隈山地に住んでいて、農業をしていましたが、農民の仕事と言えば、田んぼ仕事、畑仕事、山仕事です。山というのは何かと言うと、山に行って木を伐採したり植林したり、それから焚き木を採ってきたり、炭を焼いたり、ぜんぶ木の仕事です、森の仕事です。ですから農民の中で山イコール森なんです。それがここでは、自分は日本の田舎に居たがゆえに、山イコール森と思っているから、山を見たときに山に、しかも小高い山ですよ。アルプスじゃないわけです。その山に木がない。これはものすごくショックを受けました。
なおかつ10キロ走って、ブッダが悟りを開いたという大きな50メートルの尖塔があるブッダガヤに着きました。そこへ行ってですね、大きな菩提樹がありますが、そのブッダガヤってほとんど森がないんですね、木がないです。外に出て行って、彼が沐浴したというナイランジャナーという川があるんです。川幅が500メートルくらいあるんですよ。2月のその川は水が一滴もありませんでした。橋があるんです。橋の上から見ると、ひろーい川幅に砂がいっぱいあって、向こう側にある村々からここにあるバザールまで来るのに、ずっとあちこちに道があるんですよ。ケモノ道みたいですね。皆、橋なんか通らないで真っすぐ来ているわけです。それは風景としては面白いんですが、僕自身は川に水がないということはありえないんです。日本の僕の田舎でもこんな小さな小川が流れていて、田んぼに水が来ていますけれども、1年中枯れません。で、僕はインドの文化に触れる前に、その気候に圧倒されました。初めて見る水が無い川。それから木の無い山ですね。
で、滅茶苦茶熱いんですよ。僕が行った日から次の日、もう45度とかね。45度と言うと、本当に暑いです。で湿気が少ない。カラッカラですから、ちょっと陰に行けば何とかできるかっていう感じですが、もう本当に暑い。で、あまり暑いものですから、外に出てバザールなんかに行くときに、日中は、僕は毛布を被って行っていました。毛布って寒いときに使うものだと思っていましたが、あったかいときにこんなにして、周りの風が45度になって風が吹くと、もうヒリヒリするくらい痛いんです。これは向こうの言葉で〝ルー〟と呼ばれて、この熱風でよく何人も死ぬということがあるんです。ですから本当に殺人的な風の中で暑い。そうか毛布は寒いときと滅茶苦茶暑いときに必要なんだなということで、変に感心していたんですが、僕自身がいままで経験したことのない気候というものと、水が無い、木が無い。
*ブッダガヤでの生活
1か月くらいしたらですね、僕は調べに行ったんで、ちょっと有機農業のことを色々やろうかと思って、何しましょうって言ったらですね、好きなようにしてくださいって言われて、えっ、好きなようにってどういう意味ですか、実は雨が降るまで畑が始まりません。ですからそれまでは、雨が降るまでは出来ないので、好きなようにしてくださいと。僕は一応、海外協力という名の下に行っていますから、えっ、好きなようにしろって言われても、仕方がないので暑いときは暑い暑いと言いながら、部屋とか日陰で休んでいて、朝と夕はですね、ガンジーアシュラムですから朝、皆で起きて、歌を歌ったりとか、色々な話をしたりとかしていますので、そういうところに居たわけです。
日曜はですね、1週間、2週間してきたら、日本語を全然喋ってないので、日本語に餓えてきてですね、何もすることが無いから仕方がないということで、日本寺へ行って、実はそこはブッディストの聖地、いわゆる仏教徒の聖地ですから、仏教国は全部、お寺を建てていました。そのガンジーアシュラムのすぐ近くのチベットもお寺を建てていましたし、タイやビルマやそして日本は2つありましたね。日本寺という皆でお金を出してやったものと、大乗仏教という名前で五重の塔みたいな寺がありました。僕が日本寺に行ったらですね、日本寺には多くの旅人が来て、本とかを置いて、本棚があったんです。で、その日本語を読んでいたんですが、あるとき、僕はクリスチャン、その当時はクリスチャンだったんですが、一応、ここへ来て読ませてもらっているのに、お釈迦様にも会わないのはちょっと無礼だなということで、中に入ってですね、お釈迦様を眺めて、ちょっと色々見ました。そしたらずっと壁で囲まれたところに、絵が、壁画が描いてあります。何かなと思って見ていたら、お釈迦様が生まれたのはネパールの小さなところですね、クシナガーラというところで生まれて、そして王家の王子として生まれるんですね。でも人間が老い、病、死、そういうことに、なぜ人間は苦しみがあるのか、それを解決できないかぎり今、生きる意味がないということで、彼はサドゥ―と言うんですが、修業の旅に出たわけです。何も持たないで、インドの袈裟、普通の格好と水の壺だけ持って諸国を巡り歩いて、その悟りを得るための修業に出たわけです。そして、彼が最後にたどり着いたのがブッダガヤです。それがずっとありました。
*お釈迦様は森の中で悟った
それで、ブッダガヤで悟りを開いたという絵があったんです。で僕は悟りを開いたときの絵を見たときに、えっ、彼が悟りを開いたのは森の中なんです。森の中の暗いところで、後ろに後光が差している、そんな絵がありました。えって、ブッダガヤは全然森がないです。そりゃ木が少し植えられていますが、ほとんど森がありませんし、農村もありますけれども、農村も本当に貧しい人たちが住んでいる農村であり、土が本当に赤茶けて栄養素がない。当然、乾季ですからそのように見えますけど。
そういうところで、えっ、何で森なんかどこにも無いのになんで森なんだろうということで、当然色々と調べてみた。そしたら分かったことは、ブッダガヤはその当時、2600年前、その地域はアルベーラの森と呼ばれていた。そして水はワニが棲んでいるくらいの大河がありまして、その周りに豊かな農村があった。そのアルベーラの森はその当時、なぜ有名かと言うと、マガダというインドで一番強い国のその地域で、多くのお釈迦様のように修業する人たちがあちこちの森に住んで、難行、苦行したり、様々な形で悟りを開くために修業をしている森です。それでインドでは有名なアルベーラの森というところだったんですね。
ところが僕が見渡しても、森はどこにも無いし、ここは砂漠にこれからなるのかという荒野みたいなところです。2600年前にお釈迦様たちが、彼らは当然、飲み食いは全部近くの森へ行ってもらうわけですね、托鉢。ですからその森に多くの人たちが、何人いたか分かりませんが、その当時居た修行僧たちが皆、その近くの豊かな森に養われていたわけですね。で、スジャータという、コーヒーのスジャータではないですが、あのスジャータというのが有名なのは、その森で難行、苦行で死にそうになって、干乾びた状態で道に倒れていたときに、スジャータに乳がゆというのをいただいて、生気を取り戻して、難行、苦行では悟れない、ということを悟ったというんですね。
*自然を壊すのは誰か
つまりその当時には、豊かな川があり、豊かな森がある。そして豊かな村がある。2600年後には、川には水が無い。雨季にはものすごい濁流が流れていましたけれども、乾季には水が無い。森が無い。土はすごい赤茶けで、森がお世辞にも豊かとは言えない。これっていったい、どうしてこうなっちゃったのか、なんでこうなったのか。色々考えるんですが、豊かな森を壊せる動物はどこにもいないですね、人間以外。生き物の中で、自然を壊せるのは人間しかいない。ということは、このような風景になった原因は人間の行為であるということです。
その中でも一番大きいのは、農業ですよね。森を切って農地を作ったり色々としますよね。それから放牧をするということで、農牧が一番大きい。なおかつ、人が増えてくれば都市ができます。都市ができれば、レンガ造りの家がほとんどですから、木を切って、それでレンガを焼いたりするということで、言ってみれば、2500年前の豊かな場所が人間が農業を始め、色々な形でずっとやって行くうちに、今のほとんど砂漠、あと100年、200年後には砂漠になるのかという、そういう場所になっているということなんですね。
僕はちょっと考えました。有機農業をやっている親父とやっているわけですから。僕が行ったのは1982年、1960年にインドでは緑の革命ということで、南のいわゆる先進国と呼ばれるところから、化学肥料とそれから高収量米。高収量品種ですね、麦とかお米の高収量品種。それと化学肥料をセットに、そのほかにイリゲーション、灌漑施設であるとか農薬もセットで与えて、その人たちが、南の国は食料が足りないから、発展途上国の人たちが食糧増産のためということでやった緑の革命というのが、いわゆる海外援助によってやられたことがあります。それを始めた人はノーベル平和賞をもらっていますよね。
この緑の革命というのは、それまで99.9%の人が農薬関係を一切使っていない。ところがそれが始まってから20年したら、99%くらいの人たちが使っているわけです。そして20年くらい経ってくると様々な問題が起こってきた。ですから、その化学肥料や農薬を使ったことの問題なのか。僕はそれにしても、こんな森って無くなるかなと思いながら、お爺ちゃんお婆ちゃんを友だちになっていたアシュラムの先生と一緒に訪ねて行って、そのお爺ちゃんお婆ちゃんに、あなたたちの子供の頃はどんな風景でしたかって聞いたんですね。そしたら返ってきた答えは、今よりはもうちょっと緑が多かった。今よりはと言いながら、でもほとんど変わらない。川は乾季になると枯れるし、すごく暑いルーっていうのが吹くし、そんなに変わってはいない。ということは、お爺ちゃんお婆ちゃんが子供の頃というのは、40、50年前になりますから、当時から40、50年前には99.9%の方は農薬関係を使ってないんです。つまり、今的に言うならば有機農業ですよ。有機農業というのは農薬、化学肥料を一切使わない。それで2年半か2年くらい、前は3年でしたが、過ぎたら有機農産物として出せるというそういうことです。となるとどういうことだ。この森を壊し、土がどんどんダメになっていくこの農業を、当然、いわゆる化学農業が始まってから、それからどんどん激しくなっていったとしても、その前の段階で森が無くなっているというのは、これはもうほとんど人間がやっていることなんだから、人間の行為は、ほとんど森とかそこから得るもので生活を昔はしていたわけですね。そういう人間が豊かになる行為が自然を壊して、ひょっとしたら人間が住めなくなるかもしれない。
*ピラミッドは砂漠にはなかった
それを考えたときに、僕は中学生の1年生のときの新しい教科書がありますね、世界史。世界史の一番最初、ファーストチャプターは四大文明だったんです。四大文明は皆さんご存じのように、ピラミッドのナイル文明ですね。それからモヘンジョダロ、チグリスユーフラテス、そしてインドではインダス文明、そして中国。ところがですね、ほとんどの文明の場所は、エジプトでしたらピラミッド、砂漠の中にありますよね。ほとんどが荒れ地にあるんですよね、砂漠とか。僕は、それは遺跡だから仕方がないみたいに思ったんですけれども、ちゃんと調べるとキザのピラミッドのあの場所は、元々はほとんど森だったということが分るわけです。
ということはですね、文明というものは、森の中に遺跡を残しているかと言うと、どういうことなんだ。農業というのが始まったのは1万2千年前。そして農業が始まることによって穀物を蓄積して、それは1つの財産になり、そういうものの奪い合いという中で、どんどんどんどん部族が上ってきて、そしてエジプトにはファラオが統治して文明が発生した。文明は何か。ひと言で言うなら都市ですね。都市というのは、つまり自分たちで自分たちの食べ物を作らない人たちが住む場所です。それまでの人びとは全部、農業が始まっても農業の前の段階でも皆、その地域で自分たちの食べ物を集めていましたが、この農業が始まったことによって、自分で財産を持つようになってくると、その奪い合いということになって、強大な権力を持つファラオがですね、そこにどれくらいの都市か何千人の都市か分かりませんが、都市を建設し、そして当然、建設した場所は一番豊かな土地です。でなければ食べ物が来ませんから。今みたいにトラックで運ぶわけじゃなくて、皆持ってくるので。もうすぐ近くは豊かな豊かな田園地帯、つまりチグリスユーフラテスの豊かな三日月地帯というような、その地帯に農業が栄え、そこに文明が発生した。でもその文明が滅びて、人間はそこから去り、砂漠になったということですね。それがブッダガヤで今起ころうとしているし、それが今は地球規模で起ころうとしているんだなと。
*栄養素論争の顛末
じゃあどういうことか。僕はそのとき、農業をやっていて、有機農業をやっていましたので、人間がやる農業っていったい何なんだろうかと、農に対する根本的な疑問が発生しました。農業が自然を壊すのであれば、それは人間がこの地球上で持続可能に生きていく方法ではない。たださすがに人間もいくつか文明を滅ぼしたあとはですね、ただ収奪だけの農業ではいけないということになって、長い間、それからほかの色々な地域の昔からある農業の形というもの、伝統的な農業というものは、その地域に合った形で様々な形で発展してきたわけですが、150年前ですね、リービッヒという世界的な科学者が出て、そのときにインドでは大論争が起こったんですね。植物は何を食べ物にしているのかと。植物は何を栄養素としているのか。それでテーアという人が、有名な科学者でしたが、これを腐食だと。分解して行って最後に出来る、あの腐食。腐食が豊かなものは腐葉土という本当に豊かな土になる。ところが彼が色々調べた結果、違うと。ミネラルだと。現に水の中にミネラルを溶かして植物が育つじゃないか。だからミネラルなんだと、腐食ではないと言う。彼はその言葉を非常に強烈なキャラクターの持ち主で世界中で有名だったために、農業に耐久肥やそんなもんを作るのは意味がないと言い切ったんですね。ミネラルをあげたらいいんじゃないかと。
そして結局、その考え方が日本も世界中が科学的な農業というものはミネラルをどれだけ植物にバランス良く与えるか、これが全てであるということで、それから150年間、農業の科学者という人たちは、ひたすらそれをやっているわけですね。そして言っていることも窒素、リン酸、カリ、これが一番主要なもので、そのほかに最近ではマグネシウム、亜鉛、硫黄が必要だとか言っていますが、畑ではそんなもんですよね。それからリービッヒはそのときに、必要な元素として、17元素というのを言っています。酸素、水素、炭素は空気中、水から来るから、土から欲しいものは14種類で良いと言っています。それさえちゃんとやっていれば、農業は出来るということで、それだったらそういう肥料を工場でたくさん作って、それをたくさん撒けば、簡単に物が出来るんだということで、近代農業が発展し、今、そのときの科学農業は現在では慣行農法と呼ばれているわけです。
で、僕らは有機農業とか自然農業とか言っている者は、なんか慣行農法ではない、なんか特別な少数民族がやっているみたいな農業だと思われているんですが、慣行農法と呼ばれているこの科学農業は日本であれば戦後、70年くらいの歴史です。ヨーロッパでは100年くらいですね、リービッヒが言ってから。だけど農業の歴史は1万2千年ですから。1万2千年の中で、そうじゃない化学肥料を使わない農業があって、今、僕らの世代であれば、3世代くらいが、もうそういうふうになっていますが、だからと言って、この農業が本当にずっと続くものなのかということを、僕はインドに行ったとき、人間の行為が自然を壊す。そして、人間の知恵が、いわゆる浅知恵というのか、福岡正信のセリフで言わせると、人間の知恵は全然意味がないというようなことですが、人間の知恵というものは、常にインフルエンスされているんですね、ある意味。それは、自分にとって都合が良いか悪いかということに常にインフルエンスされている。ですから科学が進んでいると言うと、僕らは全ての科学が進んでいるように思うけども、そうではなくて、一番進むのは戦争の科学が一番進みますよね。今だったら、携帯とかこういう物、便利な物がものすごい進んでいますよね。インターネットもものすごい進みます。でも基礎科学みたいなものは全然進みませんね。自然のことを学ぶことも本当に進んでいないですね。
*原点回帰こそ持続可能な農業
で、話が非常に広がっているので、縮めようと思うんですが、僕自身がすごく感じているところはですね、農業は本当に原点に帰らなきゃならないと思うんです。本当の意味でこの地球上でずっと続く農業をしなきゃならない。今は持続可能という言葉が流行り言葉ですから、持続可能な農業という言葉は言われています。でも持続可能という言葉は非常に色々な使い方をされています。今の豊かな生活を持続可能にしようとか、これは持続可能な発展という人たちは、皆が日本とかアメリカみたいな生活をするなら、地球が3つくらい無いと足りないと言われているわけですから持続可能ではないです。真の意味で持続可能なあり方とは何なのか。じゃあ持続可能なあり方を本当にやるなら、僕らはイメージしなきゃならない。これだからこそ初めて持続可能だね。持続可能であるために、これとこれが絶対に必要なんだ。それが一つのことわりとしてあるんだよねというものを、僕らが理解しなきゃならない。理解しないで持続可能という言葉を使っても何の意味もない。
で、僕は今からそういう意味で40年前、インドでその風景を見て、僕が有機農業をやっていたから、福岡正信の本をそのとき読んだんですね。そのときに彼が自然の森は誰も耕さないのに土は豊かだし、誰も虫も殺さないのに、薬も撒かないのに、いわゆる病虫害というものは無い。虫もいる、病気の菌もいるけれども、広がらなくてそうならない。で、そういう森の姿、自然というものは神様が作ったものだと彼は言うんですね。人間の浅知恵が一所懸命、畑を耕して土に撒いて、それはどんどん悪くなるし、虫は出るし、病気は出るしね。これは人間の知恵が神様の知恵にかなわないからだということを言っていました。まあその通りなんだと。じゃあ具体的にどういうことなのか。
福岡さんという人は、僕はずいぶん付き合ったんですけれども、仙人みたいな人ですから、禅問答が好きな人で、それから極端な言葉を言うのが好きで、自然農法とは耕さない、肥料をやらない。農薬を使わない、除草をしない。有機質肥料も要らないとかね。そんなことをはっきり言う人なもんですから、その当時の有機農業界からずいぶん嫌われ者でした。ただ僕はインドに行ったときに、彼の本を読みながら感じたのは、本当だなと。人間はこの歴史の中で、僕らは豊かな文明を生みながら、その地を砂漠にしてやってきている。4か所だけじゃない、そのほかにも十何カ所あります。その当時に発生した文明。全部砂漠であり、そして今は、地球が狭くなって、土地は砂漠化と塩類集積、それから様々な形でどんどん農地も無くなっています。で、砂漠が広がってきている。そういう中で、おかしな人間は、どっかに植民星でも作ろうかみたいなことを、冗談じゃなく言っていますね、イーロンマスクなんてね。
*マネーゲームが破滅に導く
そんなわけで、僕がそのとき感じたのは、僕らが今、ここに存在しているということは、文明があった時代に僕らの先祖は居たということですね。ですから僕らは文明の末えい。でも僕らは文明から何も学んでいない。人間の行為が自然を壊し、それがそこに住めなくしてしまったという事実を学んでいない。それで今、地球規模でこの気候変動であるとか、様々な問題をどうするのか、ということを言っている。
僕が最後に海外協力で居た場所はタイでした。僕は2001年に日本に帰ってきたんですが、2000年ですね、僕がやっていたタイの自然農法トレーニングセンターというところは、向こうのNGO3つでやって一緒に作ったんですが、そこの責任者をやりながら、畑で働いていたときに僕は、ふぅってね、自分の言葉なのかどこから来たのかよく分からないですけれども、こういう言葉を感じたんですね。人間がこんなふうにして生きていたら、人間はこの地球上で絶滅危惧種になるんだ。つまり人間がこのような生き方をしているかぎりは、自滅するということです。そのときは、それで自滅の仕方はいくつかありますが、その1つは、自然環境そのものが人間を住ませない場所が地球に出来てしまえば、そこの人びとは移動しますよね。移動すれば、その移動がもとで戦争というのが当然起こるでしょうし、様々な問題。つまり地球環境が人間というものをずっとここで生かしていけるかどうかというものも今、問われている問題ですが、今の経済はものすごい貧富の格差を作っているんですね。僕はもう、ひと言で言えば、今の経済はいかさま経済だと思っているんですよ。何がいかさまか。実質経済の2千倍以上のお金をバーチャル経済で回していて、その金融経済がお金を作って、ドルを何兆円買って、あるとき売り抜けてお金を何兆円儲けたって言ったって、何にも生産していないんですよね。ただお金を移動しているだけで、何も生産していない人間が何十億というお金をいっぱいもらって、そしてそのお金はまだ、コンピューターで回っているうちはいいんですが、ATMで引き出した瞬間にそのお金はもう、実質経済しか出してない。こんないかさまな経済システムが、当たり前だ、その中で勝とうみたいに言っているような人間はもう、この地球上で滅びるしかない。
この前ね、長者番付を見たんですよ。僕が21年前にも話したときにも言いました。ビルゲイツをめちゃめちゃに言いました。そのときにビルゲイツは3兆円だったんですよ。今、ビルゲイツは12兆円か15兆円ですが、イーロンマスクは22ビリオンですからね、彼が持っているお金は25兆円です。でも何でそんなお金が彼の元へ行くんですか。お金が数字になって世界中を回ってただそこに行っているトリックだけであって、そのお金が何も作っていない。だけど、そういう世界をこんないかさまな経済システムが、この中で勝とう勝とうという人間は、もう貧富の格差を毎年毎年広げて行って、その貧困の温床になっているテロリズムを含めてですね、様々な問題は必ず爆発します。
それを僕は21年前にもそういうのをすごく感じました。絶対にそうなる。そうなると言ったときに、2001年の9月の11日にあれが起こったときには、ちょっとショックを受けましたけれども、ここまで彼らの怒り、彼らというのはイスラムの人たちじゃないです。貧困の問題なんです、あれの元はね。で、そのときにブッシュはですね、我々は何も悪いことをしていないのにこんな災いをされたと。僕から見たら、アメリカの人たちは、本当に人間を満員電車にぎゅうぎゅう詰めに何百人って入れて、発展途上国の人たちをですね。その上を先進国の人が頭の上を歩いているみたいなもんですから、僕の感覚は。頭にきた人間が引きずり下ろそうとしたっておかしくない。ましてやインターネットの世界ですから、このカラクリの問題は、世界中の人たちでインターネットの出来る人たちは情報を知ってしまったんです。そういう意味で、僕はこのまま行ったら、人間っていうのは滅びるんだろうなと。
*自然に抗わない農業に活路
ですから僕は日本に帰ったときに、飯舘村というところに入ってですね、これからの生き方はとにかく自然が与えてくれるものの中で自分たちが生きる。それができれば、色々なコミュニティで生きれる。そうした人たちがどんどんどんどん増えていって、どんなに考えたって、人間の生きる環境も食べ物もすべて自然の森、自然の緑があるところ以外は生きられない。砂漠には誰も生きられないわけです。ですから、その農のあり方は、絶対に自然を壊してはいけない。それを真剣に考えなければ、僕らが自分たちの子孫に対して、子供たちに対して、責任を全然取れない。僕は21年前に、今は22年前になりますか、帰ってきたときに、とにかく田舎に帰って、自分で生活をして、そのときに僕は、これから生きる方向は農業しかない。なぜなら、農というものは、衣食住、全部作れる。自分で作れる。きれいな水と空気がある田舎に行けば、衣食住、全部作れるし、それで必要なものが十分にあれば、人間というのは衣食住とそれからエネルギーですね。煮炊きをして温まる、そんなものは全部、限界集落みたいな場所にはいくらでもあるわけです。それは我々がもし、その土地をきちんとケアして、食べ物が十分に摂れるならば、それから木を切って家を作れるとか、そういう具体的な、昔の農民たちというのは、みんなそれをやっていたわけです。ですが、今はお金を儲けるためには、1つの物だけを集中的に作って、いわゆる差別化して高く売りましょうみたいなことばかり言っているけど、その世界のそういう中で生きれる環境が続くのは、僕は100年もないだろう。100年どころかもっと短いかもしれない。だけど人間というのはずっと生きていくんです。農業もずっとあるべきです。ですから、そういう意味で、僕は今、どんな人に対しても、もう時間が無くなってやる前に終わっていますが、ちょっと少しだけ延長してですね、循環というものをお話したいと思います。
*森の物質循環
循環というときに、自然の森をイメージしてほしいんです。自然の森はなぜかと言うとですね、自然の森というものは、木がありますね。そして草花があります。これは、植物です。で、植物が生きるために必要な物、はい、ここに居る皆さん、パッパッて答えてください。植物が生きるために必要なものは何ですか? はい太陽、そうですね太陽の光。水、水はどこから来ますか? 雨ですね。それから土、土から何をもらいますか? ミネラル? 最近は科学が進んで、ミネラルだけじゃなくてある種の有機物も取り入れるそうですから、栄養ですよね、養分です。養分をいただきます。養分がいわゆる窒素、リン酸、カリ。N、P、Kであったりマグネシウムであったりだとか、で17くらいがリービッヒが言っているのは、これでOKだと言っているんです。今の農業科学者もみんなこれでOKだと言っていますが、これは非常に問題があります。
人間の身体はいくつの元素で出来ていると思いますか。人間の身体の元素はですね、いわゆる空気中とかから来る、水から来る窒素と酸素と二酸化炭素以外のものでいくと、30種類くらいです。17だけど、これを抜くと14です。リービッヒが言っているのは14ですね、それから水耕栽培は14のものを入れていると言って威張っています。では僕は聞きたいんです。水の中に14種類を入れて、生きている物は確かにそのままの形が出来ているけど、それは人間の30種類を全部、カバー出来るんですか。僕らの身体は土で出来ているんですよね、基本的に。食べる物で出来ているわけです。食べる物は土から来るわけで、つまりこの養分というのは、僕は最低、30くらいは微量過ぎて分からないけど、30以上あるんです。ところが現在の農業は、窒素、リン酸、カリばっかりです。いやマグネシウムとか苦土石灰を使えとか、色々なことを言っていますけど、本当にこの養分は土の中に十分にあるというんです。でこれで出来たものはですね、あっ、このほかにありますね、大切なもの。なんか抜けていませんか? これでは育ちません。木が育ちません。はいCO2ですね。CO2をいただいて、それから出すのが、O2ですね。で、光合成をして作るのは何ですか? 自分の身体を作っています。それからこれを食べる物も作っていますが、それは何と呼びますかね。小学校のあれみたいですね。炭水化物ですね、素晴らしい。ここで生産されるのが炭水化物です。
そして植物の食べ物であると同時に、そのほかの生命は3つに分けると、植物、動物、微生物ですから、この生命の食べ物です。この炭水化物って素晴らしいことはですね、炭ってCですよね、水は水(H2O)、基本は太陽の光を光合成がエネルギーとして使って、炭と水を化物、混ぜたものなんです。それが木であり、実であり、そこの養分の混ざり具合によって、このミネラルの混ざり具合によって、お花になってみたり、実になってみたり、木になってみたり、葉っぱになってみたりしているわけです。でも全部炭水化物です。これは栄養学の炭水化物とちょっと違いますから、でも炭水化物イコール、もう一つの言葉は何ですか。エネルギー? 炭水化物と同意義語。炭水化物イコール、じゃあこのまま行きますか。
*生態系ピラミッドの底辺は
この上に動物がいます。動物が直接食べる、1、2、3、4と、こんな感じになります。分かりますか、動物はこういう形になっています。これ何で三角か分かりますか? 食物連鎖なんですが、これ何て読むのか知っていますか? 三角は何ですか? これ三角、イメージ出来ません? これはピラミッド。これは生態系ピラミッドって言うんです。この生態系ピラミッドは、絶対に不変のものなんです。この生態系ピラミッドは何によって支えられているかと言うと、植物です。ここの植物があるわけですね。この植物の量に応じて、ここで食べれる第一次の草食動物が決まり、それを食べる者が決まり、そして必ず、上に行くほど数は少なくなります。この生態系ピラミッドと言うのは、ものすごく、絶対に不変のものというのはどういうことかと言うと、森が消されるとどういうことになるかと言うと、ここが例えばこれくらいになりますね。そしたら当然、上はこうなります。で、そしてこうなってこうなってこうなります。で、僕は思ったんです。この食物連鎖を言って、弱肉強食という言葉がありますよね。これはダーウィンがそう言ったんです。適者適存ということで、まるで強者が勝ち、一番強いということを言いましたけど、だけどこれね、生態系ピラミッドはそうは言っていないですよね。戦えば一番強い、でもこれは環境が変化して森が無くなったら、一番最初に消えるんです。バングラディシュに行ったときですね、バングラディシュのある村に行ったんです。新しい村でした、30年前。名前がバーク、虎だったです。で、なぜ虎って付けたの? 彼らが初めの人たちが入った頃、まだ虎が居たそうです、ときどき。で、今は居るかって、今は居ない。なんで居ないんだって。あなたたちが殺したのか。いや何もしていない、だけど居なくなった。つまりその地域にすごい森があったんですが、彼らが入って畑をどんどんどんどん作っていったら、ずーっと減ってきて、あるとき、虎は居なくなってしまった。日本でイヌワシがどうのこうの言っている。イヌワシもものすごい広い生態系の森の中で生きていたわけですが、こうなって来るんですね。
しかもですね、こんな生態系もありますからね。ここに森があって、植物がこれ。こういう生態系もあります。これ何の生態系か知っていますか? こういう生態系ピラミッドが出来ている地域、農薬や肥料を徹底的に使ったら、いわゆる単一の作物だけを作った生態系はこうなります。多様な生態系になれば、これを食う虫たちが生存できる。しかも農薬や肥料を使って、上の方のこういうものが棲める環境じゃ無くなるというと、こういうことになりますから、こういう生態系で農薬を止めたら、すべてものは無くなるということですね。この自然の生態系というのはですね、よく森の生態系バランスというものは、この理論に則って、ここに多様な植物が大量にあるということは、森を多様性によってバランスを作っているわけです。で、これも生命ですから、いずれ死んでしまいますよね。そうするとここに土の上に落ちたものは何と言うんですか、下に? 名前を付けます。死んでしまった、倒れている木、葉っぱ、落ち葉、総称は? 栄養源? 炭水化物は有機物です。木というのは炭素のことを言っていますね、炭素のあるものを。つまり木、植物は炭素というのをどんどんどんどん炭水化物を作っていく中で作っているから、それを食べている人間も炭水化物です。すべて炭水化物ですから、これらは落ちて、何々死体とか色々なものがありますが、総称するとこれは有機物です。これは生きている有機物、これは死んでいる有機物ということですね。
で、有機物は植物の食べ物、これを食べて生きているのは動物、死んだ有機物を食べて生きている生物は何でしょうか? これを食べている生物。これは微生物ですね。微生物が食べて作るものはなんでしょうか? 葉っぱが下の方に落ちて分解して出来るもの。分解は僕らの言葉であって、有機物を彼らは食べているわけですね。最初は糸状菌が一所懸命食べて食べて、そのあとバクテリアが食べてって感じで食べているわけです。生きるために食べている。それが分解という形になっているわけですから。それで農業にとって一番大切なもの、土にとって一番大切なもの、ここから来るんですけど、これは何ですか? 有機物が分解して出来たものは? 微生物が作ったものですね。肥料? これは腐植です。この腐植がたくさんある土が豊かな土です。今はね、土壌炭素とも呼ばれています。そしてこの腐植が完全に分解します。これが分解するとどこへ行きます? もう行くところは決まっていますね。ここに戻るわけですね。つまり、ここから養分として吸われたものは、動物を通り、微生物を通して戻って来るわけです、ここに。
*生命システムは循環で成り立っている
この形を僕らが呼んでいるのは、循環ですよね。この循環というのは、色々考えることが出来るんですが、僕はある日、思ったんです。循環というのはですね、スタートしたものとゴールするものが全部同じものになると言うんです。炭素はここから入りますね、二酸化炭素はここへ。動物は食べてゲップしたり色々と空気に返して来ますよね。それから最終的には微生物は全部、ここへ返します。水も最終的に地上に戻って行きます。よくカーボンニュートラルとか色々な言葉を言っていますが、森は全てそうなんです。全てのものが元に戻るんです。元に戻るからまた使われて続く。つまり循環するもの以外に、持続可能なものは何も無いです。で、この地球というのを見て来ると、この森が地上では生命が生きれる場所を作っている、環境も作っている。そして地球は生まれたときに、40億年前に生命が発生しますが、地上に生命が上って来るまでには、5億年前まで待たなきゃならない。それまで、5億年前まで地上に生命は上ってないです。あまりにも紫外線とか色々なものが強すぎて。でもシアノバクテリアという30億年くらい前から、太陽の光を使って光合成をするシアノバクテリアが、何億年、何十億年と掛けて酸素を発生したために、いわゆる酸素が地球上の成層圏にオゾン層を作ったわけですね。オゾン層が出来上がって、生命が地上に上れたのは5億年前です。つまり生命とか森が作られている状況を見て来ると、良く分かることは、生命が生きる環境は、地球上は生命が作っているんです。砂漠に僕らが住めないように、なぜ森に人間が住めるか、動物が棲めるか。それは、植物、動物、微生物というものは、お互いに助け合いながら、お互いに役割を持ちながら、循環しながら広がって行って、生命が棲める場所を作っているわけです。つまり循環というものは持続する生命システムです。
*なぜ生物多様性が必要か
でもこの持続する生命システムを安定させるためには、絶対に必要なことがあります。それは1つのものに頼っちゃダメです。1つの植物、1つの動物、1つの微生物で循環します。でもそれだったら、何かが死んでしまったらおしまいです。だから生命というのは、今までの生き方の中で、必ず多様性、必ず生物多様性になるんです。生物多様性になることによって、一番最近ですと6500万年前に隕石が落下して、その当時の一番地球上を覆っていた恐竜たちが皆、死んでしまいました。そのときにものすごい多くの生命が無くなったんですけれども、ものすごい多様であったために、その中でも生きれる、そのあと隕石のあとに氷河期みたいになって大変な寒さになったりしても、生きれるものたちが居て、そしてまた、多様になりながら今、人間も含めて棲んでいるわけですね。つまり生命って僕は、この地球上に生命というのを見たときに、この循環しているということは、この中に、必要でないものは何も無いんです。全部繋がっている。そういう形の中で出来ているこの循環というものは、僕は、生命は多分、1つなんだろうと思うんですね。植物だけでは生きられない。微生物がいなけりゃ彼らが土に落ちた段階でおしまいです。動物は植物が無ければ生きられないけど、植物は動物が居なけりゃ広がれない。皆、そして動物も植物も微生物が居なけりゃ絶対に生きられない、ということで、微生物は当然、植物と動物に必要。全部必要なことによって生命が生命を支え、生命が生きれる場所を作っているのがこの地球だと。
そして太陽のエネルギーが蓄積されているのが土の上ですね。土というものと、この生命、木や人間、これは全部、エネルギーとしては太陽エネルギーの変化、僕らの太陽エネルギーの変化だったんです。これがこの土に蓄積されて、この蓄積された土に依存して僕らは作物を作っているわけです。ですから、この循環・多様性というものは、生命が必ず生き続けるためには、循環する生命システムは多様性という形態を持たなければ絶対に続かないという。そしてもう一つは、植物はたくさん生産するために絶対に必要なものは、太陽の光と雨ですね。ですから、森というのは必ず、大きな木があると、小さな木があって、中間があると言う感じで、必ず多層になるんですね。太陽の光を受けたときに、強い光は上で受けて、小さいものはという感じで、こういう感じで受けますし、雨が降ってきても、全部、土が覆われているために、全ての雨は地下水になりますね、森の中では。つまり多層性という形態、形が、必要な太陽の光と雨を最大限に使うシステムを持っている。そして土を守っています、徹底的に。ですから、僕が農業をこの土の上でするならば、僕らの農業は循環したものじゃないと、有機物をきちんと循環させる、しかもそれが多様なものであるという意味ですね。そして多層、つまり多層性というのは太陽エネルギーと雨という、地球上に与えられるものを最大限に使い、なおかつそれによって土が流されないように、土を守り、エネルギーを使うシステムです。
*将来世代に誇れる農業を
僕はここで結論を言いますが、今の農業は、自然を壊し、森を壊していった農業というものは、最初に森を全部切って多層性から単層性にします。一面キャベツ畑はまさに単層性ですよね。単層性にするということは、この単層性というものは、太陽の光を最大限に使うことも出来ないし、雨もきちんと使うことも出来ません。そして多様性を単一性にするのは、儲けられる食べ物だけを作りましょう。単一で選んで作りましょう。これはそのシステムそのものが崩壊するということです。非常に危ういということです。そして収穫したものを返さない、有機物を返さない。でも化学肥料を入れるという非循環ですね、これとまったく反対。この非循環性になることによって、土は滅びます。アメリカのプレーリーという大草原はですね、耕したところの12%の腐植があったそうです。今は2%くらいになっています。リジェネといって、様々な緑肥を撒いて、不耕起でやっている面白い人たちが居るんですが、あの人たちは10年くらいで5%くらいを6%まで上げてきています。
で、僕は一番言いたいのは、本当に森というものは、循環性、多様性、多層性によって安定的に地球上で続くシステムを作っていくならば、農業はこれをちゃんと自分の土地に取り返さなきゃならないんです。取り返さないかぎり、自分が儲けたいものを全部作りたいと、自分の欲がお金になるから、という形をやるならば、循環性が非循環性になり、多様性が単一性になり、多層性は単層性という、生命が続く論理でないもので農業をやっても、土が、何百年、何万年と蓄えたそのものを持っているうちはいいけれど、これは100年も持ちません。ですからアメリカがやっているような大規模農業みたいなものはですね、もうこれは50年、100年という中では無くなるしかないんです。あのまま進んですごい生産が上がるなんてことは無い。ですから本当に僕らが考えるものは、いかに太陽の光と雨をきちんと自分たちの農場で守り作りながら、多ければちゃんと地下水を涵養しながらですね、多様なものでバランスを取って、虫とか病気は居るんだけど、大発生しない。そして循環することによって、土は常に十分な腐植を持ち、健全な土であるということ。これをやらないかぎりは、絶対に無理なんです。
だから僕は農業の技術が云々と色々言われていますけれども、僕はリービッヒの考えた方を信仰している人たちには、一つだけ言っておきたいですね、科学者に。リービッヒが腐植じゃない、ミネラルだって言ったんですけれども、その当時、腐植が分解してミネラルになるということが科学的に分かってなかったです。彼の死後、分かったんです。つまり科学というのは常にあとから来ますよね。もうあの当時は、テーアが腐植だ、ミネラルだと、同じじゃないですか。腐植がミネラルになるんですからね。だから腐植を作って入れるのが絶対に良いはずなのに、リービッヒはですね、いやこれ見ろ、腐植じゃないだろう、ミネラルだろって、だから腐植なんか作るのは意味がないと言って、それに化学産業が付いてですね、で今の農業システムが出来ている。それは土をどんどんダメにしていくものでしかないし、これは自然のものに沿ったものにしかならないですね。
ですから僕は有機農業が特別なものに言われているのは、非常におかしいことで、僕らが将来的に、100年後200年後に僕らの子孫がですね、もし今の時代を生きて言うならば、人間は欲のために本来のあるべき科学的なものの見方をしないで、土はダメにするわ、環境は悪くするわ、あくまで我々は絶滅危惧種になることだったろう、と僕は言うだろうと思います。僕の今日の話は極論のように見えますけれど、これ、本当に僕は自分の農場でこれをやって行く中で、たくさん採ろうとは思わないんですけれども、十分なものが本当に手間を掛けないで出来るということを自分自身は感じていまして、いかに自然は与えてくれるかと思います。それを科学的なちょっとした考え方で、これ入れたら良い、あれ入れたら良いとやって行くと、必ず歪みを起こして、様々な問題を作っているということを今の時代はたくさんやっていますから、もう一度、僕らが返るべき、本当の持続可能なありようは森の中にあり、その中に私たちがこれから向かうべき新しいものがそこに発見できます。ということで、時間をオーバーしてしまいましたが、ありがとうございました。